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今日も雨が降っている。
雨音から切り離されて、静かな音楽が流れる、駅前のいつものカフェ。
俺は、大きな窓の縁に肘をつき、軒先から落ちる雫に雨の音を想像しながら、駅のほうを眺める。
いつものように、駅に赤い傘が見えて、俺は一瞬腰を浮かす。
君が傘をさしながら、小走りで駅前の横断歩道に向かっている。
足元の水溜まりを気にしながら、それでも速足で、君はこのカフェを目指して駆けて来てくれる。
カフェの入口で傘を閉じ、店内を見回した君は、俺を見つけて嬉しいような、がっかりしたような、そんな笑顔を見せて、向かいの席につく。
「今日こそは私が先だと思ったのに。何でいつもこんなに早いの?」
「ん? まあな」
俺を目指して走る君を見ていたくて、約束の時間より随分と早く来てしまうんだ。
なんて、やっぱり言えない。
「今日も雨ね」
「そうだな」
そう、なぜか俺達が会う日は雨が多い。
君に出会った日も雨だった。
傘がなくて、重要書類を抱えたまま駅で立ち往生していた俺に、君は折り畳みの傘を差し出した。
肩で切り揃えた、ストレートの綺麗な黒髪。
少し赤らめた顔に、大きな瞳。
『ちょっと小さいですけど。私はこの傘があるから』
そう言って、折り畳み傘を俺に押し付け、後も見ずに赤い傘を揺らして走り去る君を、俺は見えなくなるまで呆然と見送った。
君のまん丸な瞳と、赤い傘とが、それからしばらく、俺の脳裡から離れなかった。
君が誰かも解らず、傘を返すのをあきらめかけた頃、
雨の駅で見覚えのある赤い傘とすれ違って、俺は思わずその腕を掴んだ。
『きゃっ!』
『あっ、ごめん。……あの、……傘を貸してくれた人、だよね?』
『あ……びっくりした。こんにちは』
『この間はありがとう。
あの傘、助かった。会ったら返そうと思って、持ち歩いてたんだ』
そう言いつつまさぐったカバンの中には、なぜかその日に限ってあの傘がなくて。
『あれ…おかしいな』
『ふふ、またでいいですから。それじゃ』
『あ、待って!』
軽く会釈をして踵を返した君の腕を、俺は再び掴んでいた。
『きゃっ!』
『あ、その……どこかで晩メシでも奢らせて』
見ず知らずの俺に、なぜ傘を貸したのか、と尋ねたら、君ははにかみながら、
何度か駅であなたを見かけて、覚えていたから、と答えた。
二度目のその雨の日、俺は君の名前と連絡先、そして次の約束を手に入れた。
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