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1.インクと涙
執拗だった残暑も、遅れてやってきた秋風に攫われて、どこかへ消えてしまった。彼に会うのは、また来年だ。代わりに、校舎の中を吹き抜ける秋風は、青々と茂っていた木々の葉を、黄色や赤に色づけていった。
紅葉の秋である。
ここ、私立文珠高校の校庭の木々も葉を染め、穏やかな秋の息遣いを感じさせる。
放課後。運動部の汗を流す姿を、四階にある文芸部の部室から、顧問の浜内直哉はぼんやりと眺めていた。立ち上げたパソコンの画面にはワードが開かれているが、そこには何も書かれていない。
タイトルすら無題である。
「あ、先生! またぼーっとしてる!」
直哉の腰掛ける机の向こう、同じくパソコンを開いたまま、何の進展もない佐田芙美が彼を指差した。直哉は彼女に視線を向けると、忌々しそうに顔を顰める。
「うるせえ。お前はお前のことをしてりゃあ、いいんだよ!」
「そうはいきませんな!」
芙美は席を立つと、両手を腰に当てた。そのまま直哉に向かって進み出て、びしっ、と人差し指を彼の鼻先へと突きつけた。
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