忘れじの首位打者

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 東郷スタジアムでのナイトゲーム。終盤にさしかかっている。 ランナーのいない8回2アウト。 ピッチャーの塚本は、キャッチャー、コーチ、そして監督のサインを全て確認し、だがなかなか投げず、ついにはプレートを外す。 キャッチャーが立ち上がり、バッターから離れた場所にミットを構える。 客席に沸き上がる激しいブーイング。 塚本、投げようと構えるが、再びプレートを外し、唇を噛む。 やがて、ようやく塚本が投げる。キャッチャーの構えた所へ緩い球。 ボールが4つ大きく外れ、審判が一塁を指す。バッターが悔しそうにバットを放り、塁へ向かう。 マウンドを蹴飛ばす塚本。その目には涙がにじみ、それを腕で拭う仕草は悔しさいっぱい。 ベンチからその様子を凝視している大倉達也。 ――わざと4ボールで塁を与えること=敬遠とは、ピンチで怖いバッターを迎えた時に勝負を避けるものである。逃げと言われることもあるが、より少ない失点とする為の立派な作戦だ。だが、時にはそれ以外の為に敬遠が行われることがある……例えば首位打者のタイトルが懸かった時、相手チームのバッターの打率を上げない為などに――。 試合後、ベンチ裏で記者達が塚本を囲み、次々と質問を投げかける。 「ランナーのない中での敬遠に、塚本さんは涙したように見えましたが」 「それは勝負にいけば絶対に抑える自信があったということですよね?」 「……泣いてなんかいません」 塚本はそれだけ言うと、足早に去って行く。が、その背中に悔しさが露わ。 監督の風間貢一と大倉が一緒に出てきて、記者達はそっちに流れる。 「大倉さん、首位打者獲得おめでとうございます。ご感想は?」 「はい、嬉しいです」 大倉は、ニンマリ笑う。 「監督も、大倉選手にタイトルを獲らせるためのチームプレイ、お見事でした」 「まあ、こいつの実力なら当然のタイトルだからな」 満足そうに記者達に答える風間。 「でも……そのぅ、お二人は塚本投手の涙をどう……」 「あ?」 風間が笑顔のまま声色が変わる。 その質問をした記者が固まり、他の記者達が浮つく。 「バカ、そういうこと、聞くな」 「今まで余計なこと聞いた記者が何人出入り差し止めになったか」 その記者は固まったまま、どもる。 「あ、いえ、その……」 後ろの方から明瞭な声が飛んでくる。
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