序 

2/3
114人が本棚に入れています
本棚に追加
/128ページ
 明が目を開けると、部屋はもう薄暗くなり始めていた。タオルケットを鼻の下まで上げて寝直そうとするが、夏特有のじめじめとした蒸し暑さで、到底眠れそうにもなかった。  明は寝汗で濡れた額を手の甲で拭うと重い身体を起こして深い溜息を吐く。枕元のスマホで時間を確認すると、また溜息を吐いた。時間は十八時過ぎ――半日以上も寝ていたようだ。 「今日は特別な日だったのに……」  明はスマホを手に布団から這いだすと部屋の窓を全て開けて換気する。流れ込む昼と夜との境目の風が、火照った明の頬を撫でた。  窓の側で明が涼んでいると、手の中のスマホが短い通知音を鳴らして震えた。見るとアルバイト先の大学生、中川からメッセージが届いていた。 『誕生日おめでとう。でも、さんざんな誕生日になちゃったね……。お祝いはまた今度ちゃんとやろうね!』  明は簡単に中川に返事を返すと、窓の外を眺めながら再び溜息を吐いた。  今日は明の十八歳の誕生日だった。十六歳でも、十七歳でもなく、二年も待ち続けた特別な一日だ。それなのに、その特別な一日ももう残り三分の一しかない。  柔らかい湿った風が吹き、明の柔らかい髪を揺らす。雨の気配を漂わせる心地よい風に目を細めた明は、ふと網戸に視線を向けた。汚れた網戸から見える薄暗い庭はどこか現実味がなく、まるで古い映画でも見ているようだった。  窓の外ではレースのように繊細な白い花びらが、夜風を受け、気持ちよさそうに揺れている。 「……優雨さん」  明は薄暗い夜に咲く夕顔を眺めながら、二年前――明の十六歳の誕生日に交わした約束を思い浮かべる。   「明君が十八歳になったら改めて告白させてください」と優雨からのラブレターには書いてあった。本当なら今頃、明は優雨の恋人になっていたはずなのだ。それなのに……。
/128ページ

最初のコメントを投稿しよう!