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ぱたん、とマンションの郵便受けが軽い金属音を立てた。マンションはいい。郵便受けが密集していて、あまり動くことなく大量のチラシを捌くことができるからだ。
最後の郵便受けにチラシを突っ込むと、西藤明は休む間もなく、エントランスを出た。
夜の冷たい空気がまとわりつき、明は身震いをした。思わず漏れた溜息が白く宙に広がる。五月になったとはいえ、薄手のパーカーだけでは凌ぎきれない寒さだった。
フードを被り、パーカーのファスナーを口元まで引き上げ暖を取ると、マンションの前に止めていた自転車に跨がった。
明がペダルを漕ぎ始めると、自転車の籠の中で残ったチラシが風に揺れる。
チラシを配り終えた後のことを考え、明は憂鬱になった。仕事が終われば、父が見つけてきた「相手」に会わなければいけない。
明の気分と同じく、流れる景色が緩慢になる。
……別に今日に限ったことではない。今日が初めてなわけでもない。だが自分の体を売るという行為は、いつまで経っても慣れるものではない。
それに、父が見つけてくる相手はいつも男だった。父は「独り身のホモは羽振りがいい」と言っていた。明が十五歳という若さであることにも需要が生まれるらしい。
「稼げるうちに稼いでおけ」と父は言うが、その恩恵が自分にまで回ってこないことを考えると、「金のため」と割り切る気持ちにもなれなかった。
気持ちを切り替えようとする努力もせず、明は沈んだ気持ちのまま気分転換にいつもとは違う道を自転車で走った。普段と違う道を選んでしまったのは気分転換というよりも、仕事が遅くなったことを理由に「約束」をすっぽかしたかったからかもしれない。
明はアパートを見つけると、その近くに自転車を停めた。
アパートもマンションに続き、楽にチラシを捌ける場所である。マンションのように郵便受けが纏まっている所もあるが、明が自転車を停めたアパートにはそれもない。一部屋ずつドアに郵便受けが着いているタイプだ。
それでも一軒ずつ家を回っていくより遙かに効率がいい。
だが、住人に会うのはできれば避けたい。大抵の住人は不要なチラシをポストに入れられることを快く思っていないからだ。クレームを入れられることも多く、最悪の場合、その場で罵倒されることもある。
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