優しい雨に空き巣は佇む

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 アパートはマンションよりも住人に会う確率が高いので気をつけなければならない。  明は自転車から降りると、手前の部屋から順番にチラシを入れていく。一部屋ずつ音を立てないように注意するのも忘れない。 「……あれ?」  一番奥の角部屋の郵便受けにチラシを入れ明は首を傾げた。寒さで閉まりづらくなっていたのか、金属でできたドアが少し開いていた。中から人の気配は感じなかった。 「……」  鍵のかかっていないアパート。そして誰かが中にいる気配もない。……沸々と黒い考えが沸いてくる。  もし、今日会いに行く売春相手が払う額よりも、多い金を手にする事ができたなら、今回だけは父も見逃してくれるかもしれない。  ……こんなことはよくない。  明は首を振って黒い考えを頭から追い払うと、ドアに背を向ける――が、身体によみがえった売春の記憶が明の足を止めさせる。  自分に向けられた猛々しい欲望、身体を這い回る不快感、そして自分の中をかき回される痛み……。  明はゴクリと喉を鳴らすと人の気配を感じない部屋に向き直る。  震える指を、そっと呼び鈴に当て、大きく息を吸い込むと、ぐっとその指を押し込んだ。予想していたよりも大きなチャイムの音が響き、明は身を固くする。  チャイムの残響が消えきっても、中から人が動く気配すら感じられなかった。試しにもう一度チャイムを鳴らすが、結果は同じだった。  明はドアを開けると素早く部屋の中に滑り込んだ。心臓が口から出てしまいそうなほど激しく胸を打つ。  明は靴を脱ぐと、震える足で部屋に上がる。カタカタとぶつかり合う奥歯を深呼吸で鎮め、部屋の中を見回す。  玄関を入って左手にはキッチンがあり、右手には風呂場と洗濯機、そしてトイレがあった。  ガス台は汚れてはいなかったが、きちんと自炊をしているようで、使いかけの香辛料が流しの側に並んでいた。  流しの横のコップには歯ブラシが一本立てられている。一人暮らしなのだろう。  キッチンの隣には部屋があり、デスクトップのパソコンやタンスがあった。そのさらに奥にも部屋があり、テレビやベッドがあるのが見えた。  一番奥の部屋が居間なのだろう。金を隠すとすれば恐らく、居間ではなくキッチンと居間との間にある部屋だ。
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