淡い魔法

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淡い魔法

 演技の最中、彼の雰囲気はがらりと豹変する。時には温和な父親だったりヤクザだったり医者だったり金持ち偏屈だったりお人好し刑事だったり。特に悪役や絶望した人間の役などは本来の彼からすれば真逆のもので、想像がつかない。が、彼の演技をひとめ見ればそんなことは消え去ってしまう。元の人格を忘れてしまうほどに。カチンコが鳴った瞬間に研ぎ澄まされた雰囲気が漂い、心臓を鷲掴みされたような衝撃が訪れびりびりとした痺れが止まらず、瞬きさえも阻まれる。コンマ一秒すらも見逃すことを許されない、そんな感覚。いつも現場ではかじりつくように彼の演技を見る無表情の男はそんな名俳優である冴木貴昭(さえき たかあき)のマネージャーだ。カットォという監督の声により先ほどまでの鋭い雰囲気は失われいつもの柔らかい彼に戻る。 (息をするのを忘れる)  自然と肩に力がはいっていたのかすとんと落ちる。呼吸数が少なくなっていたので息苦しさを感じる。まだ手の震えは止まらない。びりびりとした感覚を感じながら、撮影を終えた彼を待ち構えた。
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