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その兄の葬儀のときである。私は、喪服の老人が杖を突きながら歩いていたので、近所の老人か、あるいは兄の恩師か何かかと気になって話しかけた。兄の、中学生の頃の担任だったと老人は名乗った。唇をもちゃり、もちゃり、と動かすのがなんとなく、いかにも老人らしい癖だなと思った。
祖父にも同じ癖があった。長話をしていると、時折、そのもちゃり、もちゃり、もちゃ、もちゃり…をはさんで、また話を続けるのだった。
その老人は深く帽子を被っていて顔はわからなかったが、気さくで、話しているとなんとなしに警戒するような気持ちはなくなった。
二人で斎場のエントランスにあるソファに座ると兄の思い出話がはじまり、いささか退屈していた私は不謹慎ながらも老人との会話を楽しんだ。
「ところで、本はどうしたんや」
出し抜けに問われ、私は動揺した。老人は、「ジイさんの遺品にあったやろ」といった。私が持っているというと、老人は口の端を釣り上げ、もちゃり、と音を立てて笑った。
「大切にせんと、罰があたるけんな。粗末にしたらいかん。いらんとか、つまらんとかいうと、怒り出すぞ。こう、ちょうど、蝶々みたいに開いた状態でな、追いかけてくるんや。『つまらんちゅうんはなんや…』『あやまりや…』ゆうて…そりゃあおっかねえんだ」
老人は深々と被った帽子の下で、顎をゆっくりと上下させながら頷いた。それがまるで、実際に見たかのように妙な説得力がともなった動作だったので、私はおかしくなってついふきだしてしまった。そんな子供だましのおとぎ話でこわがるほど、子どもではない。
だが老人は真剣な様子で話を続けた。
「毎年月干しをせにゃならん。旧暦の九月十五日に、必ず」
虫干しではないのか、と私は聞いた。
「虫干しでもある。ただ、それだけやのうて、月の光ちゅうもんが大好物なんじゃ、本っちゅうのは。太陽じゃ強すぎる。だが普通の月じゃあ弱すぎる。九月十五日の月が、いっとういいんや」
本の管理など詳しく知らないので、博識な先生だなと思った。これはただ単に中学校の教員をやっていたのではあるまい、どこかの大学のえらい教授かなにかかも知れない…。
そして、ふと――それじゃあ、いろいろなところの図書館は、毎年九月十五日には大忙しで本に月を当てているのだな…と呑気なことを考えていたら、老人がすっと立ち上がった。
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