第2章 今日も今日とて

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「ところで僕は今日の夕飯を聞いているのだが」  重ねて問いかけると、アーニャは溜め息をつきながら答える。 「今日は街の方にチキンを頂いたからソテーにするわ」 「ふむ」  僕は若々しい鶏の肉汁が口の中でじゅわっと広がるところを想像した。アーニャは粗暴な女だが料理の腕はなかなかだ。特に何といっても肉料理が美味い。 「当然トマトソースだろうな」  僕は人差し指と親指で顎を撫でながら言った。 「……塩コショウにしようと思ってたけど」 「トマトソースだろうな!」  僕のコトラはアーニャに通用しない。だが、だからといって言うことをきかせることができないわけではないのだ。何せ僕はアーニャの主人で、僕の言うことは絶対なのだから。 「わかったわよ!」  こうして今日の夕飯はチキンのソテー(トマトソース)に決定した。アーニャは溜め息をつきながら立ち上がると、膝の埃を軽く払う。 「あんたは本当にワガママね」 「当然だろう。この世の何もかもが僕の『我が侭』なのだから」 「……」  僕の言葉にアーニャは少しだけ俯くと、何かを言おうと口を開いて、しかし何も口にせず唇を噛んだ。 「夕飯ができたら呼ぶように。僕はもう暫くこうしている」  黙ったままのアーニャにそう命じて、僕は再びマシュマロを口いっぱいに頬張る。苺の甘酸っぱい香りが広がって、耳の下がきゅんと痛くなった。 「……わかったわ」  アーニャはそう言うと静かに部屋の扉を閉めてその場を立ち去った。彼女はこういう時の僕が誰にも邪魔されたくないことをわかっているのだ。  地上十二階。遥か高みにいる僕のあずかり知らないところで平々凡々平穏無事にたくさんの人間が暮らしている。ここからはそいつらがどういう表情をしているのかなんてわからない。  幸せ、なんだろうか? 僕にはそれがどういった感情なのか見当もつかなかった。だからこうして観察している。人間とは、いかなるものか? その答えには十と四年の時をもってしても未だに辿りつけずにいる。  空は少しずつ暮れ、街の至る所に明かりが灯り始めた。人の影がひとつまたひとつと少なくなっていくのを確認しながら、僕はただひたすらに、口の中で溶ける甘酸っぱいマシュマロを時間をかけて咀嚼している。
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