第4章 逃げてきた男

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 一度覚えてしまったタバコをやめるのは、想像している以上に難しい。  唇に挟んだまま深く吸い込む刺激を肺に満たせば、薄く焼けるような痛みと共に特有の味が粘膜にしみ込んで妙な安堵感を得られる。こんなものは他にない。代りが効かない。  だから、やめられない。  風邪を引いて味覚が麻痺した時にでさえ感じるヒリヒリという刺激と味。  彼女との逢瀬はそれに近いものがある。  これまで付き合った女にはない色気もそうだけど、何よりも他の男と婚約中である彼女が自分の手の内に溺れて悶える姿は感じたことがないほどに興奮した。  背徳感がなぜ癖になるような刺激になるのか、俺は深く考えようともせずに彼女が求めるものを全て自分が与えられたらそれで良かった。  頭の中を空っぽにしなければ触れ合うことさえもままならない。
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