雪布団

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 雪絵の肌は透きとおって白いが、同時に冷たくもあった。彼女はお国の言葉でそれを「しゃっこい」と言い、起き抜けの私の首筋を撫でては「しゃっこいねぇ」と嗤った。死体のような女は、私に温められながら、良く昔話をしたものだ。  八人兄妹の末っ子で、あの地で結婚し死ぬものと信じていたが、気付けば出稼ぎのためにと八戸駅から上野駅までを鈍行列車に揺られていた。今でも時々、自分は列車で寝ている十六歳の少女なのではないかと錯覚する時がある。吹雪のなかを走る列車。雪の張り付く窓に、耳をあて寝ている自分。ごうごうと、それは子守歌のようで、私自身もごうごうと吹雪の一片にでもなったように強気になって、胸の奥が熱く火照っていた。  上京の話は、特に良く覚えている。 雪絵が死ぬ病気を患ったのは櫻散る春の季節で、入院して数日後、彼女はこう言った。 「私ね、産まれてから一個の夢しか見ないのよ」  夢の話は、あの時に初めてされたのだ。 「たいそうな吹雪でね、そのなかを葬式屋たちが棺桶持って歩いてんの。鐘がカンカン鳴らされて、五月蠅いったらない。葬式の列は長くて、雪の積もり始めた広い畑をひたすらまっすぐ歩いてなぁ。そんで、ようやく墓の前に来て、さぁ最後のお別れにと棺桶を覗けば、そこに私が寝てるんだ。私のお葬式なのよ。そんな夢一個をずっと見てたから、きっと私の死ぬ日には雪が降るわねぇ」 縁起でもない、私を一人にしないでおくれと慰めたが、彼女は夢のとおり雪の降る日に亡くなった。私は悲しむ間もなく葬式の準備をしたが、雪絵の家族に電報を出しても返事はなく、また友人と呼べる者もいなかったので、喪主一人の葬式に相成った。 しかし今思えば、そのおかげで雪絵の遺言を実現できたので、結果としては良かったのだろう。  雪絵は死ぬ二日前に、私に遺言をした。それが雪布団である。彼女の村の風習で、冬の葬式では死体に雪を掛ける。自分の体が焼かれる前に、雪でうんと冷やしておくれ。彼女は暑さにだけは弱く、夏になれば裸で家のなかを彷徨っていた。 葬式の朝は十年ぶりという大寒波によって吹雪き、雪が足首まで積もっていた。私は庭の雪をぼろバケツに積め、死体が安置された部屋にせっせと運び、彼女の体へ掛け布団のように盛り付けた。何往復したかは分からぬほど必死で、雪をかぶる彼女は見ているだけで凍えたが、いつものように熟睡しているようでもあった。
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