水槽の外へ

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ああ、この教室はちいさな水槽なのだ、と思った。 六月の梅雨真っ盛りの湿気た空気は妙に髪や肌に張り付いて不快で仕方がない。 しかし、他の生徒は制汗剤やそのシートで体をぬぐい、顔に汗ひとつかいていない。 甘い、人工香料の果物の匂いが部屋に満ちてゆく。 身だしなみ、清潔感、美しさ。賢そうなお仕着せの校則とは少しずれているが、これがこの女子高で学ぶ彼女達の守るべき三原則であった。 ある生徒は薄い化粧を施し柔らいウェーブのかかった栗色の髪を揺蕩わせて教室の端で友人たちと昨日のテレビの話題で明るく笑う。 またある生徒は派手な飾り気こそないものの、濡れ羽色の黒髪を長く伸ばし、自分の机の周りにある椅子をいくつか拝借し、そこに友人を数人掛けさせて先日読んだボードレールの詩について静かに語り合っている。 一限目の予鈴が鳴ると、髪を伸ばした生徒たちが校則で決められた黒いゴムでふわりと結ぶ。その姿は、どことなく華やかな金魚の尾が揺れる姿に似ている。 仲の良いクラスに見える。 が、皆が皆、朱や金色のそれぞれに美しい尾を翻して舞い、表向きは仲良く群れてこそいるが、私こそがこの中で一番美しい、私こそがこの中で一番賢い、ときらめく己の鱗の紋様を競いあわせている金魚のようだ。 息苦しい水槽の中の競争に私は関係ない。 私は、水槽の底に沈んでそっと息を殺す深海魚だ。 私は彼女たちのように際立って美しくもなければたくさんの友達もいない。 誰の目にも止まらず、そっと静かに息をして暮らすだけの、ただの深海魚なのだ。 事実、このクラスで私に話しかけるものはほとんどいない。 ただ、テストの前になると机の周りに、勉強を教えて、と いつもは不真面目な生徒たちがチョウチンアンコウのオスのように群がる。
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