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……後から思い返せば、この時の私は完全に正気を失っていた。
いろいろありすぎて、頭の中がフットーしていたのだ。まこと遺憾である。
延々と安芸くんの隣で愚考に耽っていた私に、さっそく罰が当たった。
次の駅に着いた瞬間、私の浮かれポンチな思考は吹き飛んだ。
「……うっ」
おそらくどこかの高校の柔道部だろう。背も高く横幅も広い男子高校生が、集団で乗り込んできた。
瞬く間に、車内の体感乗車率は二百パーセントくらいになる。
認めたくはないが背の低い私は、あえなくもみくちゃにされる。汗くさくて暑苦しい男たちに挟まれ、押しつぶされそうになる。
「さとるさん、こっち来て」
安芸くんの声が聞こえるや否や、肩を引っ張られて壁際に移動させられた。
眼前に立った安芸くんが、遠慮がちに腕を伸ばし、
トン。
と、私の顔の真横の壁に、手をついた。
「えっと……ごめんね。なるべく身体に触れないようにするから」
安芸くんが優しく言って、甘やかな微笑みを落として、両手で支えて壁となり私を守る。
(……コレは)
まぎれもなく、『壁ドン』だ。
再び電車が激しく揺れた。
重量級の男子がもたれかかってきた。安芸くんの腕が曲がり、肘が壁につく。
壁ドンのもうひとつ上の段階、密着度が増す肘ドンになった。
私の肩に、安芸くんの顔が載る。
耳に安芸くんの髪がさわさわ触れて、くすぐったい。そして心臓が破裂寸前まで高鳴っていた。
「ごめん、さとるさん……嫌だろうけど我慢して……」
満員電車でいったん崩れた姿勢は、そう簡単に元に戻らない。安芸くんの後ろにいる男子高校生は、なおも体重をかけてきていた。
安芸くんは押しつぶされそうになりながら、それでも私を庇おうと懸命になってくれて……ああ。
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