ジャガイモと不幸

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ジャガイモと不幸

 可愛がられ、愛されている孫として。祖父をよく知っていると思っていたのだ。  それが間違いだったと気づくのは、私が中学生になってからである。  休日の昼。テーブルの上に並んだのは、大量のジャガイモだった。皮をむいて塩で茹でただけの貧相なメニューである。単品ではまともに食べられない、塩の塊のような糠漬けのホッケを焼き、その身をほぐしてイモに乗せて食べる。塩茹でのイモに塩辛いホッケと、血圧の心配をしたくなる組み合わせだ。  両親はこれをうまいうまいとおかわりして食べていたのだが、私はこのホッケが苦手である。イモと一緒に食べるならこれだ、と冷蔵庫からマヨネーズを取り出すと、「現代っ子だな」と父の笑い声がした。 「昔は、イモの塩煮に糠ホッケの組み合わせだったんだよ。それが今じゃ、マヨネーズだのマスタードだの、たくさん出てくる」 「昔っていつの話よ」  父は私を見た。これから話すことを理解できるのかと聞くように、私の成長を試す視線。そして、ゆっくりと話し始めた。 「おじいちゃんが若かった頃」  あの祖父の、若い頃。  好奇心が疼く。ごくり、と唾を飲みこんだが、イモやホッケよりも飲み込みづらく感じた。  そして私は後悔したのだ。  なぜ聞いてしまったのだろう。もやもやとした哀れみのような何かが胸中を渦巻く。  その感情にどんな名を与えればいいのか、どのように処理をすればいいのか。噛み砕く方法を間違えてしまえば、祖父にうまく接することができなくなる。  それが怖くて頭の片隅に追いやり、無関心を装って「ふうん」と答えた。
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