第4章

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       だいたい毎日、黄昏れる。        竹田さんは七十二歳で、施設に入って二年になる認知症のおばあさんだ。おばあさんといっても、血色が良く、肌もつやつやで、とてもきれいな人だ。見た目は歳よりずっと若くて、チャンネルが合っている時は思考もクリアで、身の回りのことを人にさせたがらない。しゃんとしている。        一見、自宅でも十分暮せそうな竹田さんは、何かのタイミングで別のチャンネルに自分を切り替える。それもしょっちゅう。AMのラジオをFMにするみたいに。そのチャンネルに合わせた途端、竹田さんはわがままになって、いろんなことを忘れてしまって、まったく別の人間になる。     「ゆうちゃん、ちゃんと手を洗ったの?」  ゆうちゃん。 これが竹田さんのチャンネルがFMになった合図だ。 その時からぼくは、ゆうちゃんになる。     「あ、ゴメン、忘れた」  ぼくはそう言って、洗面所に行って手を洗って、うがいをして、再び竹田さんのところに戻る。   「ダメじゃない。学校にはたくさんのバイ菌があるんだから、家に帰ってきたらまず手を洗うこと。この間、お約束したでしょう。ちゃんとせっけんで洗った?」 「洗ったよ、ほら」 「うがいもした?」 「うがいもしたよ」  ぼくは竹田さんの鼻に自分の手を持っていく。施設の洗面所にある、手洗い用の液体洗剤の匂いがする手を。
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