第1章

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 ぼくは成すすべなく呆然とその様を見ているしかなくて、頭上の物体の黒はみるみる近く、大きくなっていく。        背中をひんやりしたものが走る。左の肩甲骨のあたりが、こぶし大に盛り上がって膨らむ。まるでその中に生き物でもいるみたいに、それはドクドクと波打って皮膚を引っ張る。         ぼくがその異物に気を取られている間に、太陽は無くなっている。空を闇が占める。手に汗がにじむ。このままでは、心臓を持っていかれる。        ぼくは怖くてうずくまる。ひざを抱えて、腕で自分を抱きしめて。そうしないときっとぼくの足は地面を離れて、この巨大な闇の船のような何かに吸い上げられてしまうだろう。        どうしてなんだ。どうしていつも、ぼくだけなんだ。ぼくが母さんの言うことを聞かなかったから? ぼくが悪い子だから? おかしいよ、だってぼくは悪い子じゃない。それなのに。叫んでも声にならない。誰も来ない。誰も助けてくれない。        そこで目が覚める。  ぼくは泣いている。布団はおしっこでぐっしょり濡れている。毎回、ビデオを再生したように、同じ音、同じ色、同じ場面、同じ夢を、何度も、何度も。        子どものぼくは朝になるとバカみたいにそれを忘れ、明るい日常に血眼になって、夜、また同じ夢を見た。あれは何歳まで続いたんだったか。        大人になって、ぼくはもうその夢を見なくなったし、あの時のような恐怖は何かに紛れて感じなくなった。でも、あの時の黄昏れだけが、音と、色と、体の全部が下に落ちて地に張りつくようなあの感覚だけがいまだに体のどこかに残っていて、ぼくはその度に「ああ、またか!」と思うのだ。腹立たしい思いと共に。  なぜ腹立たしいかって? そんなの決まってる。止められないからだ。来ることがわかっているのに、止められない。体もデカくなって、ちょっとは考える頭になって、どんどん歳を取ったのに、そんなのってどうかと思うよ。もういい大人なんだぜ、ぼくは。    
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