4.息を吸って吐く時間

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 その方がいいや、とたつみは笑いながら視線を落とした。先ほどから右足の踵で左足を軽く打っている。トン、トン、と小さなリズムが玄関ホールに響くが、近くを人が通るだけでたちまちかき消されてしまう程度の音だった。  シローもつられて自身の足元を眺める。学校の指定と言うこともあり、シローが履いているのもスリッパだ。ただしシローのものは生徒用の青色である。隣の市立高は新しく建て直されてから一足制になって、校内をローファーで歩き回れるのだそうだ。羨ましいと皆が口々に言っていたのを思い出す。  ふたりはそのまま互いを見るでもなく、新しい話題を出すでもなく、ぼんやりと足元を見つめていた。  最初に電車で会ったときはシローが何も言わなくてもぺらぺらとたつみが喋っていたし、バイト先ではシローには仕事があり、たつみには食事があった。  だが今は何もない。  校舎のどこかからなのか校庭の方からなのか、生徒たちの声が遠くから聞こえてくるばかりで、ふたりとも手持無沙汰だ。  けれど沈黙はむしろ心地良かった。シローは黙ったまま少し伸びてきた手の爪をいじる。  そうしているうちに手の中から沈黙を破る方法がいくつもいくつも滑り落ちていくような気がしたが、別にそんなものは必要ないなと思えた。そういうものは追いかけさえしなければ焦りも生まれない。     
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