すべてはあの時から

7/29
前へ
/29ページ
次へ
 もっとも、私には物語を創る才などありません。だから、物事を創作するアーティストとして彼女に一応は敬意を示したつもりでした。ふと見れば彼女は柔和な笑みで佇んでいました。確かにそのときの私はどことなく物憂げであったのは確かです。それというのも創作ではなく鑑賞者とならざる得ない自身の境遇を感じない訳にはいかなかったからです。そういう私の心情を察してくれているのでしょうか。  私はこの絵を所望することにしました。普通であれば、ラッピングを施し、代金を支払うのみなのですが、ここは更に副次的なサービスが提供されるシステムになっていたのです。 「ハーブティーでも如何ですか。」  そうして供してくれたのです。但し、間仕切壁を隔てたアトリエに移りはしましたが。見ればステンレスの作業台と業務用の巨大な冷凍庫があったのです。どうやら以前は厨房だった様で、あまり造作を施さずにそのまま使っていました。その作業台には絵具と絵筆とそれに制作途中のキャンパスが無造作に置かれてたのです。でもこうしたマテリアルな空間はかえって気を落ち着かせました。彼女はハーブティーが注がれたカップとマドレーヌをサイドテーブルに置いたのです。そうして誘われました。促されベッドにならんで腰掛けたのですから。もちろん、制作に没頭するときは此処に泊まるのでしょうが、使い道はそれに尽きるものでも無いようです。 「あの絵で十分です。他に何も求めません。」 「私のこと、お気に召さなくて?」     
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加