5. 「馬鹿」と「イイコ」

51/71
前へ
/273ページ
次へ
「………な、なんでですかっ? あ! お金の心配でしたら大丈夫ですよ、ぼ、僕が払うのでっ」 「ちが、そうじゃなくて」 「じゃ、じゃあ、なんでですか?」 再び距離を詰められ、流石に我慢の限界が来たようだ。 「やめてください」 自然と冷たい声が溢れた。 すかさず詰められた分以上の距離を取り、拒絶の意思を示す。 「すみません。ご飯を食べに行く気はないですし、こういうことされるのは……迷惑です」 最後に「すみません」ともう一度頭を下げて、足早にこの場を立ち去ろうとした──が。 その腕を、痛みが走るほどの力で掴み取られてしまう。 「っ、離してください」 振り返ると、先ほどの笑顔が嘘のように、怒りを滲ませたお客さんの表情。 「な、なんでだよぉ!」 やばい。 早く逃げないと。 本能がそう叫んだ。 「し、知ってるんだぞ、いつも他の男と一緒に帰ってることっ。 な、なんで僕だけっ、なんで僕だけ駄目なんだっ」 肩をがっと掴まれ、怒り任せな言葉を浴びせられる。 あまりの恐怖でなにも言い返せない。 知らなかった。 この人が、こんなにも怖い人だったなんて。
/273ページ

最初のコメントを投稿しよう!

599人が本棚に入れています
本棚に追加