2人が本棚に入れています
本棚に追加
へぇ、とわたしは頷いた。不思議な世界と不思議な少女、そして不思議な枷。戻れる方法がわかってるなんて思ってないし、戻れるところなんてある訳ないし。足を絨毯の上に戻す。ふかふかだ。
「それじゃあ、しばらくよろしくね。宵(ヨイ)って呼んで」
「よい……夜の名前ね。素敵だわ」
わたしが忌み嫌った名前を隠すためにわたしがわたしにつけた名前を、きらきらの夜色の瞳を光らせる少女はそう評価した。
*
絵筆を使うのは得意だった。
わたしの生前の話しである。生前というか、死前というか。青い地球の上で血の通ったあたたかい手をどんな風に使っているのが一番楽しかったかと聞かれたら、わたしは絵を描いてる時だった、と答える。
そして少女が手伝ってくれと頼んできたことはこのステーションの一番上の部屋の壁画を描くことだった。プラネタリウムのように丸い屋根を藍色の絵の具で塗り潰す。高いところは細い梯子に登って。大きなハケで藍色の絵の具を塗りながら、わたしはいろんな話しをした。細い絵筆で白のラインを引きながら、少女は黙って聞いていた。
ぷらん、と梯子のてっぺんからぶら下がる足はなにかのテンポを取るかのようにいつもゆらゆらしている。
「……なにか音楽でも聞こえるの」
「え?」
すい、と少女の細い絵筆が動く。白の細いラインはすべて直線だ。ぽつりぽつりと、途中に丸がある。不思議な絵だ、とわたしはゆらゆら揺れる白い靴を見上げながら思う。
「足が、ゆらゆら揺れてて。テンポを取ってるみたい」
「ああ、癖で……あたしの、友達の、癖なの。移っちゃったのね、たぶん」
「たぶん?」
「しばらく会ってなくて」
高さ三メートルはありそうな梯子から、少女は飛び降りる。危ない、と悲鳴を上げてしまったが、そうここは重力からほんの少しさようならしたステーション。音も立てずに少女は着地する。
「世界で一番の友達。あたしはここでその友達が来るのを待ってるの」
「そう、なの」
「あたしは動いちゃだめ、ってよく言われてたから、あたしはずっとここで待つの。方向音痴だからって。いったん休憩しましょ」
指先にこびりついた白い絵の具を擦りながら少女は言う。わかった、とわたしは返事をして、ハケを絵の具のバケツの中に放り込んだ。部屋の片隅に、二人で並んで座る。
最初のコメントを投稿しよう!