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夢を見ていた。子どもの頃の夢だ。
昔昔、自分の家の近所に天使がいた。
愛らしいとしか言いようのないその外見。仕草。行儀の良さ。大人も子どもも夢中になって彼女を褒めたたえた。
しかし言葉を覚えていくのと比例して、天使は徐々に本性を現し始めた。
口を開けば辛辣に相手をけなし、気に入らない人間には氷点下の一瞥。美貌な故に恐ろしさも倍増する。
悪魔の方が天使よりも美しいのかもしれない。子ども心にそう思い知った頃、とあるつわものが彼女に言った。
『ねえ、みどちゃん。ぼくとケッコンしなよ。ぼくんちお金持ちだから』
『ええ? いやだ。わたしはお兄ちゃんとけっこんするんだから』
もろに氷の眼差しを浴びながら、彼はそれでも怯まなかった。
『ばかだなあ。おにいさんとはケッコンできないんだよ。だからぼくと……』
みなまで聞かず、彼女はくるっと誠の方を見返った。
『ほんとう? お兄ちゃんとけっこんできない?』
『うん』
不安そうに歪む瞳に吸い込まれそうになりながら誠は頷く。
『ほらね。だからみどちゃん、ぼくと……』
『それならまことちゃんとする』
ぎゅうっと誠の体にしがみつき、彼女は高らかに宣言した。
『まことちゃんとけっこんする! あんたとはしない、あっちいけ!』
「あ、起きた」
「暑い」
「お馬鹿さん。こんな窓もないとこで寝入って」
冷たいペットボトルを頬にあてられ、ようやく意識がしっかりしてくる。
図書館奥の閉架書庫。静かな場所を求めてここまで入り込み、すっかり熟睡していたようだ。
「夢を見たな……。子どもの頃の。高田が出てきた」
「それ、虫の知らせなんじゃない?」
夢で垣間見たように美登利の表情が冷たくなる。
「来るんですって、高田」
誠はようやく体を起こす。
「それじゃあ、行かなきゃだな」
襟元を整えネクタイを締め直す。
「しっかりね」
額の髪をかき上げ美登利がハンカチで汗を拭く。
「私は澤村くんのリサイタルに行くから」
優しいことをしてくれると思ったらこれだ。指で彼の髪を整えている彼女の手を握る。
「……ほら。しっかり」
美登利はその手を握り返して誠の腕を引っ張った。
手をつないだまま書庫を出て、図書館の出入り口に向かう。防音防火を兼ねた重い扉を開けたとき、ちょうど放送が聞こえてきた。
『ただいま一時になりました。放送部、船岡和美の突撃レポート、いよいよ午後の部です! 現在私は、未だに長蛇の列が途切れない「大正レトロカフェ」の前に来ています。校門前は新たに来場してくるお客様で賑わっておりますが、なんとここで! サプライズ! 我が青陵の好敵手、西城学園高等部の高田生徒会長が来場してくれています』
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