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A
「桜蔵ぁ、準備できたよ~」
明りの落ちたビルの中、耳のイヤホンから聞こえる低い声。
黒の上下に身を包んだ小柄な男が一人、闇にまぎれ、壁と柱が作る影の中に潜んでいた。小さな顔の半分は、ゴーグルで隠れている。覗いている口元が、愉しげに弧を描いた。
「侵入から3分。さっすが、珪ちゃん」
「5分で出てこられたら、今回の祝杯の費用、俺が出してやるよ」
「マジ?がんばろー」
どこか色気を帯びた桜蔵の声が、途端に弾む。
「慌てて、盗んだモン落としたりしないようにね」
イヤホン越しに聞こえた意地悪な声が、出会ったその日へと記憶を誘う。
「あははっ、懐かしぃー」
それを笑い飛ばして、桜蔵は、目的の場所を見据える。
「それじゃ、行くよ?珪ちゃん」
今夜は新月。窓の外から注ぐ明かりはない。
ドロボーには、お誂えの夜だった。
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