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第六十四話 黄昏時の
すべてのことに大体の目処がつき、ようやく遊びに気を回せるようになったのは朝晩にはマフラーが必要な気温になった頃だった。
「葉っぱが落ちちゃったねえ」
以前に行った寺院で大きなイチョウの樹を見上げて中川美登利はつぶやく。その直後、今度は足元を見下ろしてつぶやく。
「寒暖の差がないから今年は紅葉がキレイじゃないって聞いたけど、ちゃんと黄色いね」
それからまたぱっと顔を上げる。
「あっちの楓を見に行こう」
一ノ瀬誠はため息をついて彼女の手を引く。
「落ち葉で足滑らせるなよ」
「はいはい」
今日の彼女は機嫌が良い。誠にとっては久々の行楽だったが、どうせ彼女は遊び歩いているのに違いないのだ。だがそんな気配はおくびにも出さずに「久しぶりだね」としおらしく見つめてきたから誠もへそは曲げないでおいた。
実際のところまわりはみな忙しくて、案外本当に置いてけぼりを食っていたのかもしれない。寂しかったのかもしれない。この女は変化に弱いから。
「それで、おまえはどうするんだ?」
門前の土産物屋でおしるこを飲んでいる幼馴染に訊くと、彼女は真顔になって視線を空に投げた。鈍く光った瞳が一瞬鋭くなり、美登利はすぐに瞼を伏せてそれを隠した。
「……今まで通りかな」
「いいんじゃないか?」
自分もやっと戻ることができる。近くにいればいくらでもフォローはできる。以前のように。
「みんな甘いんだよ」
「いいんじゃないか?」
そういう甘やかし方ならいくらだって。そうでないと彼女が暴走しだすことは皆が経験で知っている。
「今度はもっと遠くに行こうか」
帰りの電車の中で美登利は誠の手を握って言った。
「行ったことのないところまで」
「そうだな」
それだけ聞けば十分というふうに美登利は微笑む。彼女はどんどん先の約束をしようとする。自分を放り出すための時間稼ぎだとかつては思っていたけれど。先の約束が必要なのは彼女の方だったのかもしれない。誠は初めてそこに思い至った。
夕方の犬の散歩を終えて河原道に戻ると対岸のビルの上の空は暗灰色だった。山の方から雲が広がってきている。振り返れば雲の切れ目の先の河口の方はオレンジ色でまだ明るかった。
日が短くなっていく。秋はあっという間にすぎてしまう。土手の上で少しぼんやりしていたら。
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