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第六十五話 境界線
池崎正人がロータスに入ると、カウンターの奥に久々に宮前仁が座っていた。
「よう」
「なんか、久しぶりっすね」
「おまえとはな。まったく来てなかったわけじゃないぜ」
「池崎くん。見て見てー」
奥のテーブル席から船岡和美に手招きされる。四人掛けの空いていた席に正人が腰を下ろすと和美は持っていた冊子のページを広げて見せた。
市の商店街連合の季刊誌らしい。カラー刷りの見開きにいくつか写真が並んでいて、いちばん大きなコマには、魔女のとんがり帽子を被ったコアラの着ぐるみが仮装した子どもたちを引き連れて練り歩いている光景が映し出されている。
「シュールな光景だよねー」
毎年恒例のハロウィンの仮装の一幕だ。写真に写り込んではいないが、正人はもちろんこの現場にいて着ぐるみのフォローを怠らなかった。
また露出過多な衣装を選ぶのなら、今年こそは百合香に殺されてでも止める覚悟でいた。ところが当の本人がバイト先のイベント会社のつてでコアラの着ぐるみを借りてきたから、岩下百合香はムンクの叫びみたいなポーズをしてショックを受けていた。その後腹いせのようにやって来た子どもたちの顔にペイントを施し始めて、それはそれで楽しそうではあったが。
どうにも中川美登利は着ぐるみにハマってしまったらしい。「自己が解放される」と喜んでいる。殻を脱ぎ捨てるのと真逆に見えて同じ原理なのかもしれない。別の自分になりたい願望が彼女にあるのだろうか。
正人の隣で美登利は疲れたように頬杖をついて季刊誌を眺めている。和美の隣に座っている坂野今日子が時々心配そうな視線を投げている。今日子も気づいているのだろう。最近の美登利はくたびれている。
彼女がこんなふうになってしまったことが以前にもあった。高校卒業の頃、そして寝込んでしまったから正人も今日子も心配なのだ。
「おい。香辛料買いに行ってくれ」
カウンターの中から志岐琢磨に呼ばれて美登利は立ち上がる。
「おれも行きます」
すかさず正人も後に続く。
クリスマスが近い駅前通りはただただ華やかだ。正人が去年貰った手袋を使っているのを見て美登利はにこりとした。
「就活タイヘン?」
「うん。でもだいぶ絞れてきた。一ノ瀬さんにいろいろ教えてもらえるし」
「ふうん? 仲良しだね」
しまったと思ったが発言した本人は上の空で脇見をしている。と思ったら通りの向こうを指差した。
「イベント広場行ってみようか?」
「いいけど」
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