第六十五話 境界線

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「ぎゅってして」  泣き笑いのような笑顔に正人も涙が出そうになる。 「うん……っ」  胸の中に思い切り抱きしめて艶やかな髪に顔を埋める。馬鹿みたいに胸が痛い。嬉しいのに切ない。切ないのに嬉しい。  達彦のように彼女の深淵を理解できてはいない。誠のように傷つけることで許し合うこともできない。好きな気持ちだけでそばにいることしか考えられない。それでも助けたい。彼女が流されそうなときに縋ってくれる杭でいい。いちばん最初に腕を伸ばせる自分でいたい。 「私がしてほしいときにぎゅってして」 「うん」 「必ずだよ」 「うん」  やはりというべきか、年明け早々に寝込んでしまった美登利に「懲りないヤツだ」と琢磨は呆れ顔だった。容体を見に行ってきた今日子や和美は多少は安堵した様子だったが正人は心配で仕方ない。そんな正人をどういう風の吹き回しか誠が見舞いに誘ってくれた。 「何をやってるんだ、おまえは」 「ほんとだねえ」  誠に返事をしつつその後ろの正人の姿に美登利は目を細める。 「卒論は大丈夫なのか」 「ほとんど出来上がってるし、今月中に出せばいいから」  ふう、とため息を落とした誠は「先に下に行ってる」と正人に言い残して部屋を出ていった。  数年前に一度来たときと彼女の部屋の様子は何も変わらない。物の少ない自室のベッドの上で美登利はじいっと正人を見上げている。傍らに膝をつくと、彼女は小さく笑って掛布団の下から手を出した。握ってみるととても熱い。けれど彼女はほっとしたように微笑んだ。 「いつもそうなんだよ」 「え……」 「池崎くんがいてくれると楽になる」 「ほんと?」 「うん」 「ずっとそばにいる」 「うん」  正人を見つめながら美登利はゆっくり瞼を閉じる。しばらく手を握り続けたまま寝入ってしまった小さな顔を見守る。それからそっと立ち上がって階下のリビングに行ってみた。 「わざわざお花をありがとう。お茶を飲んでいってね」  美登利の母の幸絵に呼びかけられる。巽と兄妹の父親もいて少し緊張する。巽が自分も正人と親しくしていると紹介してくれる。穏やかに相槌を打ちながらお茶を飲んでいた家長に向かい、頃合いを見て誠が呼びかけた。 「おじさん」 「うん?」  幼いころから知っている青年が改まって姿勢を正しているのに何かを察したのか、慈父は湯呑みを置いてきちんと誠に対した。
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