第六十五話 境界線

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「僕ももうすぐ卒業して社会に出ます」 「そうだね。おめでとう」 「これからの生活の基盤が出来上がってもいないのにお願いするのは気が早いですが、先におじさんの許可がほしいんです」 「うん」 「早々に必ずかたちは整えます」 「君のことだから心配はしてないよ」 「……娘さんと結婚させてください」  この場に立ち会わせるために自分を一緒に連れてきたのだ。それがわかって正人は目を見開く。辛いけれど見届けなければならない。彼女の父が頷くのを。 「まあー、まあー。誠くんたら!」  場の緊張が解けると幸絵がはしゃいで誠の肩を抱く。  ――結婚しようねって約束した。  あの夜、抱き合いながら彼女と話したことを思い出す。  ――私は嘘ばかりついて約束もたくさん破った。でもその約束だけは果たすんだって、いつも、いつも……。  約束が果たされるときが来たというだけのこと。わかっていた。それ込みで彼女のそばにいると決めたのだから今更揺るがない。正人は微動だにしないでその場面を見守っていた。  連れ立って中川家を出たところで、ガレージの方から呼び止められた。 「ふたりとも乗ってきなよ。池崎くんは駅まで行くだろ?」  巽に誘われて顔を見合わせてしまったものの、断る理由もなくふたりは後部座席に乗せてもらった。住宅街の大通りを隔てて反対側の一ノ瀬家の前でまずは誠が降りる。 「おめでとう、父さんはもとから誠くんにあげる気でいたから時間の問題だったろうけど」 「ありがとうございます」  別れ際、車窓越しに巽に言祝がれて誠は無表情に頭を下げる。 「でもね」  澄んだ眼で誠を見上げ、これでもかと優しい表情で巽は微笑む。 「あの子は僕のものだよ」  誠は凍りついて反応できない。そんな彼を一瞥して巽は静かにクルマをスタートさせた。  運転の荒い妹とは比べ物にならない丁寧なハンドルさばきで路地をぐるりと回って大通りへ戻る。 「大人げないって思うかい?」  後部座席でやはり凍りついていた正人に向かい、バックミラー越しに微笑みかけてくる。 「僕だってこんなものだよ。余裕なんかない。愛してるんだ」  ――愛してるんだ。世界にあの子だけがいればいい。  あの夏の日からこの人は何も変わっていない。きっともっと以前から。  ――居直るか、壊れるか。  心なんか壊れても、それでも苦痛で。でも愛してる。 「……」  口元を押えていた手のひらで今度は目元を覆い、正人は何も言えずに俯く。巽も黙ったまま駅前に向かってクルマを走らせた。
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