35人が本棚に入れています
本棚に追加
最終話 結婚
一ノ瀬誠の下宿の部屋に初めて足を踏み入れた中川美登利は、もの珍しそうにあちこちに視線を投げかけては荷造りの手伝いをしてくれた。
引き上げる日が訪問の初日になるなど、まったく薄情な恋人だと思う。この場所で起きたことを思い返せば彼女なりの抗議だったのかもとも思う。誠が地元の河原やロータスになかなか足を向けなかったのと同じ理屈だ、きっと。
最後にカーテンをはずすと、ワンルームの部屋からは生活感がまるでなくなった。
「こんなところに四年もいたんだね」
「こんなところは余計だ」
「寂しくなかった?」
「寂しかったさ」
くすりと笑って、何故か美登利は瞳を潤ませる。
「私だったら気が狂いそう」
そうだろうな。胸の中で誠はつぶやく。とてつもなく寂しがりやな彼女にはきっと耐えられない。
「長かったね」
「短かったよ」
卒業式がまだあるけれど、これでようやく自分の場所に戻れると思うと誠はがらんとしたこの部屋になんの感慨も持てない。
「あのね……」
彼の手にそっと触れながら美登利が上目遣いに口を開く。どうせまたろくでもないことを言い出すのだ。誠は無表情に続きを待つ。
「私もちゃんとするから」
ささやきに睫毛を震わせていたかと思うと、眼差しを上げてひたと誠を見つめる。
「だからふたりのことは許して」
酷いなと思っても誠は許すしかない。わかっているくせに言質を取ろうとする。彼女なりの規範で。誠はため息交じりに頷いて見せてから、腕を回して彼女の後ろで両手の指を組む。
「長かった」
「うん」
また一つ節目を迎えて季節を越える。新しい約束を結びながら。
挙式の当日には榊亜紀子はらしくもなくがちがちに緊張していた。
「私は自分が見世物になるのは初めてなんです」
いつもの奇抜な行動が見世物になっていないとでも思ってるのだろうか? 美登利は苦笑いして亜紀子を励ます。列席するのは家族だけなのだ。亜紀子という人物を皆がよく知っている。
クラシカルで清楚な純白のドレスに身を包んだ亜紀子は義妹に向かってまた同じ質問をする。
「私で良いの?」
「その質問、これで最後にしてくださいね」
亜紀子の母親と妹が幸絵と連れ立ってやって来たので、美登利は入れ違いに花嫁の控室を出た。
高原の静かなホテルの一日一組に限られたこじんまりとした式場だ。チャペルもあるが巽と亜紀子は人前式を選んだという。
最初のコメントを投稿しよう!