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「疲れた……」
つぶやきながら寮への道を歩く。決めることはすべて決まって、後は作業のみになったから正人は先に帰らせてもらえることになった。
夕暮れ時の河原道。土手の芝生にまさかの人の姿を見つけて嬉しくなる。土手を駆け下りようとして気がついた。
犬を五匹も六匹も連れてリードを握った中川美登利は誰かと話している。彼女の下方に座っているのは村上達彦だ。正人の恋敵の一人。宮前仁が「もしかしたら誠より強い」と言っていた。
「先輩」
「今帰り?」
美登利が正人を見上げて微笑む。
「それ便利屋の?」
「うん。苗子先生の紹介でね。このご近所の犬たち」
大型犬もいれば小型犬もいる。
「金持ちが多いから犬も立派だな」
犬たちを睥睨して達彦がつぶやく。
「見るとこそこですか。かわいいとかじゃなくて」
「動物見てかわいいなんて思ったことないね」
聞いたままの冷血漢。なのに美登利は、彼に対して格段にハードルを下げてきている。それは正人よりずっと付き合いは長いのかもしれないが。
この場所で達彦が彼女にキスしようとしていた光景を正人は忘れない。同時に一ノ瀬誠の言葉がよみがえってくる。
――あの女は少し目を放すと、いいや、目の前でだって蝶々みたいにふらふらふらふら何処かへ飛んでいく。
ぐっとこぶしを握っていると達彦が正人を見ていた。見透かしたような表情。正人は意識しながら美登利に話しかける。
「先輩」
「ん?」
「週末体育祭なんだ」
「そう、あっという間だね」
「見に来てくれる?」
「ええ?」
思いもしなかったように美登利は眉をひそめる。
「そう言われても……」
「お願い」
「うーん……じゃあ、こっそり行こうかな」
「リレー一番取るから」
笑って土手を駆け上がっていく正人を見送った後、美登利はすぐに表情を消す。
「なんでしょうね、あれ」
「ガキはわかりやすい」
後ろに手をついて倒していた体を起こして達彦は答える。
「一ノ瀬がなんぞ吹き込んでったんだろうな」
「あー……」
「奴も余裕があるようでそうじゃない。俺への牽制に池崎を使いたいんだろ」
「しょうがないな」
「君が言えた台詞じゃないから」
横目に達彦を見て美登利は薄く微笑む。この悪魔。
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