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第一話 新しい日々
いつものように入学式の二日前に帰寮した池崎正人は、荷物を置いてまたすぐに外に出た。明日には新入生の入寮が始まるから作業を手伝わなくてはならない。翌日には入学式の準備もある。行けるのは今日しかない。
賑わっている駅前商店街の奥、昔ながらのアーケード街の更にはずれにその店はある。看板らしい看板はなく扉の脇に取ってつけたようなプレートが張り付いているだけ。商売っ気のないその店に、正人の会いたい人がいるはずで、彼は勢い込んで扉を開ける。
「いらっしゃいませ」
その人の声がして、正人は嬉しくなってカウンターの中を見る。いない。振り向いて観葉植物の向こうを見ると、テーブル席の方で宮前仁や坂野今日子や船岡和美が難しい顔をしてあれやこれやと言い合っている。
何事かと身を乗り出した正人はがくっと脱力してつぶやく。
「何してんすか?」
「おー、池崎。どう思う?」
「どう思うって……」
目の前には、黒革のキャップを被ってマスクをつけ、あげくに大きな分厚いレンズの眼鏡をかけた人物。
「顔が見えないです」
「ったりめえだろ、顔隠すためにやってんだから。どうよ、こんなんが街歩いてたら」
「不審人物っすね」
「ああ、もう。馬鹿馬鹿しいよ」
ぐいっとキャップと眼鏡を取って彼女が顔を出す。
「マスクだけじゃダメ?」
「そうですねえ……」
彼女の乱れた髪を撫でつけながら、坂野今日子が困った顔をする。
「美登利さんは目力あるから隠すなら目の方じゃない?」
冷静に和美が言うのにふむふむと宮前が頷く。
「しかし眼鏡で顔隠すってのも目立つもんだぞ」
「じゃあ普通に帽子で。キャスケットのつば広いのとか、目深に被れば目元は結構隠れるもん」
「そうですね」
「あとで買いに行く」
キャップを宮前の頭に戻し、マスクを外して彼女はふうっと息をつく。
「お待たせ、池崎くん。コーヒー飲む?」
「うん」
やっと顔が見えて正人は安堵する。中川美登利は微笑んでコーヒーを淹れてくれた。
「なんかあったの?」
「あったあった、大ありだよ」
県立大にも合格したもののメディアの勉強がしたいからと、結局美登利や坂野今日子と同じ大学に通い始めた和美が疲れたように言う。
「女子大だからと甘く見ていました」
憎々し気に今日子は肩を震わせる。
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