第三十五話 桃源郷 EX

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第三十五話 桃源郷 EX

「太ったみたい」  中川美登利のつぶやきに「は?」と船岡和美が声を尖らせる。 「どこがさ? ど・こ・が!?」  お腹や腰を触りまくりながら問い質す。 「目方はともかく体が重いの。思ったほど動けない感じ」  深刻な顔で美登利が話すのを和美は聞いていなかった。坂野今日子に両手をつねられていて。 「当然よ。女の体はハタチ越したらいろいろ変わってくるもの」  ファッション誌を眺めながら岩下百合香が言う。ハロウィン以来、目の保養と称して彼女は時々ロータスにやって来るようになった。 「こんなモデル体型を維持しようってなら大事な機能を損なうよ」 「見た目はどうでも動きが鈍くなるのが許せない」 「それこそ仕方ないわよ。それと引き換えに柔らかさや丸みってのが出てくるんだから」 「子どものままじゃいられないってことですか?」 「まあ、みどちゃんてば。かわいいこと言うんだから。食べちゃいたい」  頬ずりしようとする百合香を今日子がものすごい勢いで止める。 「トレーニングの量、増やそうかな」  ぎゃいぎゃい騒ぐ友人たちの横で美登利はため息をついた。 「それで朝もジョギングするの?」 「犬の散歩のついでに。いいでしょ」  駅前のコーヒーショップで美登利は微笑む。池崎正人は恐る恐る言ってみる。 「先輩はちょっとくらいか弱くなってもいいと思う」 「それが嫌なの」 「ですよね」  こういうストイックなところが彼女にはある。自分をいたぶるような言動をとることも。だからいつでもそばにいたいのに。 「もっと近くにいれば一緒にできるのにな」 「学校始まれば行き来しやすくなるよ。デートしようね」 「それまでダメなの?」 「……。桃の花の季節だね」 「あ、桃源郷?」 「行ったことないの。見てみたいな」 「調べとく」 「うん」  お願いね、と貴重なミッションを言い渡されて心が弾む。 「ところでさ、何で今日はここで待ち合わせたの?」  今いるのはいつもの駅前ではなくふたつ隣の駅だったりする。小暮綾香の自宅の最寄り駅であることが正人に嫌な予感しかさせない。にやりと笑う美登利を見てこれは当たりだな、と空を仰いでいたら案の定小暮綾香が店内に入って来た。 「何の呼び出しですか、これ」  かつてないほど不機嫌な表情。 「まあまあ、座ったら。ケーキ食べる? ごちそうしてあげようか」  極上の笑顔で上品に促す美登利に目を剥いて、綾香は無言で自分で飲み物を買いにカウンターへ行った。 「先輩っ。どういうつもり、喧嘩する気じゃないよね」 「その通りだよ」  こそこそ尋ねる正人ににっこりと微笑む。 (この人サイアクだ) 「顔に書いてあるよ」 「う……」 「で!」  戻って来た綾香がどかっと腰を下ろす。 「何の御用で?」 「一応、報告しておこうと思って」  にこにこしながら手を伸ばし正人の頭を抱き寄せる。 「私、彼と付き合ってるの。エッチは……以前に一回きりか。でもこれからたくさんするものね」  優し気に笑いかけられたって答えようがない。 「私のものだから」  宣言する悪魔に綾香はぶるぶる拳を震わせる。 「彼にはもう会わないとか言ってたくせに」 「あらぁ、そうだった? 覚えてないな」 「それはおれが勝手に……」  口を挟もうとした正人だったが、ものすごい迫力で綾香に睨まれて口を閉じる。 「あなたって、あなたって人は……」  ぶるぶると目に涙まで浮かべながら綾香は激しく美登利を睨む。 「どこまで人をバカにすれば気が済むんですっ」 「馬鹿になんかしてないよ、現状を教えてあげてるの。池崎くんは私のもの。取り戻したいならいつでも奪いに来たら? 受けて立ってあげるから」  ぎりっとくちびるを噛んで綾香は瞳を燃え上がらせる。美登利は泰然とそれを受け止める。 「よくわかりました。だったら、必ず、取り返してみせます」  キッと正人の方を見て低く囁く。 「わたしはあなたをあきらめない。覚悟してよ」  正人が青ざめるのを見届ける間もなく綾香は背を向けて店を出て行った。 「やー。怖い怖い。さすが池崎くんの元カノ」  涼しい顔でカフェオレを飲む彼女に正人は唖然と顔を強張らせる。 「なんでこんなことするんだ」 「だぁって、小暮さん可愛いんだもん。池崎くんとお似合いだしさ」  何を言ってるんだこの人は。 「綺麗にお化粧して身だしなみを整えて。全部あなたのためなんだよ。わかってる?」 「何が言いたいの?」 「それだけ好かれてるってこと。だから私はもっと努力しないと」  びっくりして正人は目を見開く。 「そんなの、先輩には必要ない。今のままで十分だよ」 「そう? 池崎くん、目移りしちゃわない?」 「するわけないだろ!」  いいようにはぐらかされたあげく言質を取られたことに正人は気付かない。悪魔は満足げに微笑んで正人の頭を撫でた。 (あの悪魔、あの悪魔、あの悪魔)  やられたことはやり返すというわけか。しかも彼まで連れてきたりして。  また涙目になって怒りながら綾香は大股に歩く。ふと気が付いて、姿勢を正して足さばきにも注意を払う。  こんながさつな女ではあの人には勝てない。中身はともかく外見や体の動きは本当に美しい人だから。女らしさで負けているとは思わない。負けているのはそれだけのこと。 (綺麗になってやる)  正人が驚くくらい美しくなって後悔させてやる。そして取り返す。心変わりを許してやるのだ、自分は心の広い女だから。  あれこれ未来図を思い描いていたら気分が落ち着いてきた。ばかりか楽しくなってくる。そしてふと気が付く。  悪魔に煽られるまで、実は綾香は落ち込んでいた。どうしていつもこうなのかと。悲しんでばかりいて目的が見付からなかったのが怒りのおかげで浮上できた。 (まさかね)  ふるふると首を振り綾香はきっと視線を上げる。とにかく自分磨きだ。なにがなんでも彼女を越えるいい女になってやる。心に誓った。
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