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甘尾 小丸(あまお こまる)の場合
朝食の用意をしている最中にガスの炎が引火して、黒こげになった母親の死体を前にして、「甘尾小丸」は床にぺたんと座っていた。
バイクに乗った変身ヒーロー「ライダー」がプリントされたパジャマを着て、ただその消し炭を見ている。
死の直前、大好きだった母親が発したあの恐ろしい唸り声が、彼の耳にまだハッキリと残っていた。
午前6時30分。
もう30分もそうして座っている。
ついにのそのそと立ち上がった小丸は、ぷすぷすと煙を上げる死体を大きく回り込んでダイニングテーブルへ向かい、母のバッグからスマホを取り出し、「パパ」と書いてある番号へ電話を掛けた。
『……現在、この地域への電話はつながりにくくなっております。しばらく待ってからお掛けなおしください』
聞いたことのないアナウンスが繰り返し流れる。
小丸は無言で通話を切ると、幼稚園の制服に着替え始めた。
(ママじゃなかった。あくのそしきのかいじんだった)
あれはライダーが戦う「悪の組織」の怪人だったと小丸は頭の中で何度も繰り返す。
炎に包まれる前、台所で唸り声をあげていた母親の姿。
白く濁った眼。剥き出しの歯茎と血まみれの歯。
大好きだった母親の変わり果てた姿に涙が溢れそうになり、ボタンを締めようとした手が震えた。
歯を食いしばってスモックの袖で涙を拭き、一生懸命ボタンを締める。
(パパに教えなきゃ。それからパパといっしょにママを助けにいくんだ)
黄色い幼稚園の帽子をかぶってゴムひもを首にかけ、肩からバッグを斜めに掛けると、彼は母親のスマホと戸棚から取り出した食パン、そして冷蔵庫の小さな牛乳のパックを入れる。
ちょっと考えた後におもちゃ箱から変身ブレスレットと変身カードも取り出してぎゅうぎゅうに詰め込むと、納得してファスナーを締めた。
母親の遺体に目を向け、すぐに目をそらして玄関へと向かう。
目的地は父親の勤める消防署だ。
家から4キロ。それは幼稚園児の小丸には絶望的な距離だったが、彼にはそれ以外に思いつく選択肢は無かった。
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