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「お前が今日旅立つって言うから帰って来たんだろ」
本当は昨日の夜に帰ってきたかったが、収録が25時、編集が27時までかかってしまい、気付いたら潮汐の柔らかい二の腕を枕にして寝ていた。そして飛び起きてすぐ、家に帰って来たというわけだ。
別に、順平を喜ばせようとか、驚かせようとか、そんな期待を抱いていたわけではないが、「忙しいのにわざわざ帰って来たの?」と言われるとガッカリする。
「今度はいつ帰ってくるか分からないんだろ? お前の顔を見ておこうと思っちゃいけないのかよ」
「いけなくはないけど……」
言い淀む順平を睨みつけ、言いたい事があるなら早く言えと無言で急かした。
「一昨日もその前も帰って来たじゃん……」
「…………」
「えっと。仕事は大丈夫なのかな、と思って……」
大丈夫じゃねえよ、バカヤロー。誰のせいだ。
60分の空き時間を作るのが、たかだか往復20分弱の移動をするのが、これほどしんどいとは思わなかった。小さな子供を持つ阿南とは違い、俺には無理をして帰らなければいけない義務や責任は無い。順平は一言だってそんな事を望んでいない。だからこれは俺のエゴだ。
順平が近いうちに旅立つと分かってから慌てるなんて、笑い話もいいところだ。
スニーカーを脱ぐため身体を屈めたら足がふらついた。順平が両肩を掴んで支えてくれる。
「大丈夫? 顔色が悪いよ」
……ダメだな、俺は。何をやっても順平に心配ばかりかけてしまう。
近付いたついでに、額を順平の肩に押し当てた。
「瑠珂……」
順平が優しい手つきで後頭部を撫でてくれる。うっとり目を閉じかけた時、俺の腹の虫が悲しい音を立てた。いい雰囲気がぶち壊しだ。そして昨日の昼から何も食べていないことを思い出した。
「腹が減った……」
自覚した途端、身体に力が入らなくなる。
順平はクスクスと笑った。「親鳥の顔を見た途端、『メシを寄こせ』と騒ぎ出す雛鳥みたいだ」と。
「ご飯にしようか」
いつもと変わらない優しい笑顔。これがまた暫く見られなくなるかと思うと、胸が苦しくなった。
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