それがどうした

2/5
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
強烈な蒸し暑さと息苦しさに目を覚ましたあなたの目に飛び込んだのは、焼いたマシュマロにイチゴジャムを付けて無造作にいくつもくっつけたようなドロドロした塊だった。それが血塗れの人間の顔面であるということに気がついたのは、あなたの顔の横で鳴りっぱなしのスマートフォンの光がたっぷり10秒以上それを照らし出した後だ。さっきからあなたが床面に押し付けている右頬に感じている湿り気や苦しくなるほどの生臭さの原因が、そいつの血液その他何らかの体液である可能性の高さを悟ったあなたの心臓は可哀想なほど飛び跳ね、反射的にこの場から逃げ出そうと身じろいだ。しかし生憎あなたの手足は頑丈なロープで縛られている上に、その受け入れ難い事実にもがくあなたが海老のように飛び跳ね暴れた結果知ったように、この空間の前後左右上下には寝返りを打つほどの余裕もない。あなたは強く目を瞑って息を止めた。だが、それが一体何だというのだ。 背中に回された両の手が、虫に這われるようにざわつき冷えていくのが分かる。止めていた息を長く吐いて、疑問符で埋め尽くされる頭を懸命に落ち着かせようと努力した甲斐あって、あなたは五感と記憶を総動員して自分の置かれた危機的状況がどのようなものであるかを推理した。あなたの推理の根拠や推論の正確さはさておき、結論から言うとあなたは今、理由はともかく何者かによって拘束され、車のトランクに詰め込まれている。しかも、知らない誰かの撲殺死体とふたりきりで。あなたの推理は正解だ。 せめて顔と顔が向かい合わないようにしてほしかった、とあなたはまだ見ぬ加害者に恨み言を呟く。 「ほんとうにそう」 あまりにも近くから聞こえた声に、ほんの少し落ち着きつつあったあなたの鼓動が再び暴れ出す。あなたと死体、互いの額の間にあるスマートフォンは先程まで黙りこくっていたのに、あなたの心臓に同期したかのようにまた光り始めた。(頭を僅かに動かすのも難しいあなたには知る由もないことだが、スマートフォンが光っているのはあなたが昨晩から帰ってこないのを心配した母親が何度も電話をかけ続けているためだ。夜が明けるまで待ってしまったことを後悔しながら、手遅れでないことを祈りながら、彼女はもうすぐ警察に駆け込む。もちろん、結果は手遅れと決まっており、彼女もあなたもそれは知らない。だが、それが一体何だというのだ。)
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!