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寝ぼすけ
時刻は午前3時過ぎ。濃い闇が空も地上も関係なく支配する。白も青も緑も全てが色を失い、それでも夏の蒸し暑さだけが太陽が無い今も残っている。
こんな時間には路面電車も動かない。車もほとんど無い。昼間は煩かったクマゼミもなりを潜め、時が止まったかのような静寂に包まれた世界だった。
晋平は自転車を全速力で漕いで病院へと駆けつけた。風を切る爽快感も、上り坂を登る辛さも、何もかもない交ぜにして、全て等しい。ただ少しでも早く。それしか考えなかった。
病院の非常口のような扉は開いていて、そこから建物に入ると足早に目的の場所へと向かう。走り出しそうなのをギリギリの所で堪えて、一基だけ動いているエレベーターよりも非常用階段を選んで駆け上がった。
目的の部屋にたどり着き、部屋の扉を開ける。中には結香の両親がいたが、晋平と目を合わせることは無かった。
結香の心臓が止まったと結香の父親から晋平に連絡があったのがついさっき。島田から、谷田が死んだと伝えられてすぐのことだった。
結香の両親はお互いに肩を震わせ、悲しみを少しでも和らげようと身を寄せ合っている。しかし、母親からは止め処ない涙が溢れ、2人とも晋平が入ってきたことに気づいた様子は無い。
晋平が結香の両親から結香自身に視線を移すと、安らかな表情で眠っている姿が飛び込んできた。
“この子、昔から一度寝るとなかなか起きないからね“
そんな結香の母親の言葉を晋平は思い出す。
「なぁ、起きろよ……寝ぼすけ」
頬を叩けば「おはよう」と言って起きてきそうな程安らかな寝顔に、晋平は一歩一歩近づきながら言葉を漏らす。
「頼むよ……ゆいかぁ」
晋平の力ない懇願に、結香の両親もようやく晋平に気がついた。晋平の言葉を聞いた母親が声を上げて泣き出してしまう。
暫くすると夏の太陽が顔を出し、白や青や緑が存在を主張し始める。そんな眩い季節、結香は恋人や家族を残して1人旅立ってしまった。彼女が最も嫌った1人での旅立ち。なのに結香の表情は本当に安らかで、大切な人達に囲まれて幸せそうだった。
―完―
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