第1章

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 夏の名残を惜しむかのような蝉の鳴き声が、五月蝿くて苦しかった。数週間ぶりに見た都築は、陽炎に滲んで今にも消え入りそうに思えた。きっと都築は何事もなかったように背中を見せるに違いない。そしてその背中はゆっくりと去っていくだろう。そうゆりは思っていた。けれど、彼は涼しい顔をして、佐野の腕の中からゆりを引き剥がしたのだ。 「悪いんだけど、連れて行くね」 「そうはいかないんですよ。その気もないのに、藤堂先輩を振り回すのはやめてもらえないですか」  佐野が再びゆりの腕を掴もうとした時、都築はその手を咄嗟に打ち払った。 「その気がないなんて、憶測でものを言ってもらっては困るんだよ」  ピリリとした空気が張っていた。  都築は佐野の目をしっかりと見て、余裕の笑みを見せたが一触即発なのは見て明らかだった。しかし、佐野の方が確実に強いだろうに、都築は一歩も引かなかった。 「行くよっ」  そう言うと、都築はゆりの手を引っ張った。握られた手は力強く、とても優しかった。何かを叩きつけられた金属音が、背後で遠く聞こえていた。 「ねえ、都築......」と話しかけたゆりの言葉を遮って都築は言った。 「ショー用の洋服ができたんだ」「ほんと?」 「何度も連絡をしたけれど、無視された」  握られた手が少しだけ強まった。言葉からも、怒っているのは明確だった。後ろから見える頬が、少しだけ膨らんで、伸びた栗色の髪が、陽に透けてなびいていた。どうして、この人がいいんだろう。握られた手が痛かった。心に刺さったトゲが......痛かった。 「さっき控え室に搬入しておいたんだ。ちょっと試着してみない?」 「ねえ、都築......」  佐野に言った言葉は、どういう意味なの......と聞こうとしたけれど、言葉が続かなかった。笑ってあしらわれるのが怖かったのだ。すると都築は、諦めたように小さくため息を吐いた。 「早朝の学校って空気が澄んでいて、とても気持ちがいいんだ。僕はデザインに煮詰まると、時々、誰もいない朝の校舎を一人歩いて想像力を膨らませていた。そんな時に僕は道場で藤堂さんを見つけたんだ」
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