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「君は、自分では分かってないかもしれないけど、結構、笑ってたんだよ」
うるせーわ。覚えてねーわ、そんな昔のことなんてよ。
「まともな賞もとれねーブラスも、金にならねー小説も意味ねーよ。バイトの接客で作り笑顔してるほうが金になるわ。くそみてーに忙しいコンビニで働いてる俺の一生懸命さをお前にも見せてやりてーわ」
バイトしなきゃ学費もままならねえ。今どき、大学出てまともな就職もあるとはおもえねーし。ああ、自分の嫌なところあげてったらきりがねーな。蝉がうるさく鳴いてやがる。母校の野球部員が精いっぱい声出して応援してやがる。ブラスの後輩の金管楽器の音色が響く。まったくくそみてーな青春だよ。何が楽しくて、こんなことやってんだ。
9回表、ついに母校の野球部が1点入れた。9対1。スタンドはそりゃもう盛り上がったよ。点が入った時の曲演奏できてよかったな、後輩たちよ。
「ほら。みんな嬉しそうじゃん。そういうもんなんだよ、たぶん。君も、もっと素直に喜べよ」
「たった1点取り返しただけの状況で喜べるかよ」
おい、ここでなんで隣に座ってくるんだ、この女はよ。
「本当は君も1点でも取り返したいんだろ?好きなことからは逃れられないんだよ」
俺の顔をのぞきこんで笑ってんじゃねーよ。俺が照れてる顔そんなに見てーのかよ!
「うるせーわ」
「待ってるよ。もうちょっとマシなもの書いてくれるのを」
そう言って女は後輩たちのもとへ向かっていった。女がサックスのOGとしては人気があるほうだってのは、遠目でもよく分かる。俺は、ほんとは後輩に挨拶するのも嫌だったんだが、とりあえず適当な言葉をかけて、さっさと球場を出た。
さあ、今度こそ何も書かねーぞ。俺は何も書きたくねーんだ。どうでもいいことで時間つぶして何も作り出さずに人生を終えてやるんだ。
翌日、俺は新作を書き始めていた。
(終)
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