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カッターの刃音。鋭い刃先で躊躇なく左手首に線を引く。
最初はじんわりと赤く、そのうちに血液が膨らむように皮膚の外を流れ床にポタポタとたれていく。
死ぬつもりはない。ただ心の傷を左手首に移しているだけ。
右手は、数えきれない量の線を毎日左手に書いていた。痛みなんかもう感じない。
出来る事ならば、この線を【あの人】につけたいけれどそれは無理。
だから私は私を傷付ける。私を捨て他の女と幸せに暮らしている男を憎みながら。
「―――あれ?……なんで?」
ある朝目覚めたら、私の左手首の傷が綺麗さっぱりとなくなっていた。
すべすべの肌。昨夜までは、とても半袖など着れないほどだったのに。
その数日後。友人からの知らせで慌ててテレビをつけると、あの男の名前と年令と顔写真。突然の事で頭が混乱する私にニュースキャスターは説明する。
深夜、会社の同僚と二人で酒を飲んでいた【あの男】は、店を出たあと些細な事から口論となり、道端に落ちていたガラス片で同僚に切りつけられた。
致命傷は首の傷。真っ直ぐに切られ大量出血で奴は死んだ。でも犯人に記憶は無かった。
誰もが奇妙に思ったのは、殺された男の全身に無数の切り傷があった事。
服の切れていない箇所にまで、その皮膚はまるで線を書いたように切れて血にまみれていたそうだ。
左手首から消え失せた線たちは、憎いあの男に移ったのだと直感し、私はほくそ笑む。私を苦しめた罰だ。ざまあみろ。
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