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歪んでいた。
夜の児童公園である。その中央辺りの景色――いや空間と言うべきか――が歪んでいた。
なんだろう、あれは。
男は近づいてみる。近づいても、その歪みは消えない。どうやら目の錯覚ではないようだ。
ぼんやりと、男は歪んでいる空間を見つめた。大人の頭一つ分ぐらいの大きさで、ちょうど男の胸のあたりの高さにある。他の場所はなんともないのに、そこだけが眼鏡の度が合わなくなった時のように、ぐにゃりとねじれていた。
と、一陣の風。枯れ葉が舞いあがり、そのうちの何枚かが歪みに触れる。すると、枯れ葉は吸い込まれるように、消えてしまった。
もしかすると。
男は思う。
これは異世界への扉なのではないだろうか。SFやファンタジー小説で、よく出てくるような。
先ほどの風で揺れたブランコが、きぃきぃと鳴いている。風に流れてきた雲が月を覆い、辺りの闇が濃さを増した。
入ってみようか。
ふと、男は、そんなことを考える。
もしかすると、この歪みに入った先は地獄かもしれない。だとしても、なんだと言うのか。地獄と言えば、今のこの世界こそ地獄である。
数年前に会社をリストラされた。わずかばかりの退職金で事業を起こしたものの、すぐに破綻。金のいざこざで学生時代からの親友に愛想を尽かされ、つい先日、妻と子供に逃げられた。残ったのは、多額の借金だけ。
この歪みの先がどんな世界でも、今のこの世界よりはましだ。
無精ひげをさすりながら、自棄的な笑みを浮かべた男は、ゆっくりと歪みに歩み寄る。その歪みに触れた瞬間、男の姿が吸い込まれるように消えた。
それから、五分ほど経った頃だろうか。
男が歪みから出てきた。無精ひげはなくなり、ぼさぼさだった頭もきちんと整えられている。薄汚れていた背広も、クリーニングに出したようにぱりっとしていた。
男は、自信に満ちた足取りで、公園を出ていく。
その姿に、かつて世の中に絶望していた男の面影は、全くなかった。
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