9人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ
彼女の無言に込められた意味に思いを巡らせていると、不意に強い眼差しが向けられた。
「ねぇ、私を撮って」
「……無理だよ」
「どうして? やる前から無理だなんて、決めないで」
「そうじゃない。ここは暗すぎるんだ。オレのカメラは旧式のレンジファインダーだし、室内撮影に適したポートレイトレンズも持って来ていない」
しばらくにらみ合いが続いたが、彼女から先にふと視線を逸らすと「シャワー浴びるから」と低い声で告げられた。
つまり、出て行けという意味だろう。
扉に手を掛けたところで、外側からノックの音が響く。控え目ながらもしっかりと耳に届く、独特のリズムで三回。
扉の向こうには、車掌が立っていた。
ポルトガル国境を越えて、パスポート検査が終わったのだろう。
英国民であることを表す臙脂色の彼女のパスポート。菊の紋章が印字されたオレのパスポートもついでに受け取っておく。
車掌はチラリとオレに視線を向けたが、何も言わずに去っていった。
パスポートのページをめくって真新しいビザのスタンプを確認していると、背後でカーテンを引く音がして、すぐに水音が聞こえ始める。
「マジかよ」と思わず日本語で呟きながら、慌てて部屋を出た。
最初のコメントを投稿しよう!