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§4
電話の向こうの慶介の声はいつもと変わらず落ち着いていた。
「家か? これから行っても構わないか」
仕事が立て込んでいない時期の週末は、慶介が雅巳の部屋に泊まりに来ることが多い。慶介は自宅が仕事場でもあり、気分転換にならないのでデートのときは部屋の外に出たい、と言う。一方、雅巳は自分の部屋でのんびり気兼ねなく過ごすのが好きだ。
「いいよ。うちで何か飲む?」
「今日は山岳ステージだよな。中継見ながらイタリアワインでも飲むか」
「あー、今冷えてるのはないなあ」
「ワインもつまみも、俺が行きがけに買って行くから気にするな。十時には着く」
そう言って電話が切れてから、小一時間ほどでドアホンが鳴った。時計を見ると十時二分前だ。相変らずの正確さに一人笑みを漏らしながら、オートロックの開錠ボタンを押す。
合鍵を渡そうかとも考えるのだが、思い立って作ったきり、なんとなく渡しそびれていた。求められてもいないのに押し付けても、鬱陶しがられるだけではないかと気後れがする。相手の男に結婚を迫る女のような重たい奴だと思われるのは不本意だ。
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