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プロローグ 白い椿の墓場
きっと僕はこのまま死ぬのだろう。
こんなに手足が冷たいのだから。
白い白い雪の上。赤い椿の花が、あたり一面に落ちている。その光景は鮮やかで、怖いくらいに美しく、夢の中にいるようだった。
息をつくたび、わずかに残っていた体の熱がにじみ出ていく。
あとどのくらいここで寝転がっていればいいのだろう。
怖い気持ちはまるでなかった。
母さんは病気で苦しんだけど、あっちの世界に行くときはあっけなかった。眠ったまま逝ってしまって、いつ心の臓が止まったのか気づきもしなかった。やって来た誰かに教えられ、ようやく死んでいるのがわかった。その時まで母さんは、本当は死んでいたのに僕の中では生き続けていた。
生と死は大差なく、その境はあいまいで判りにくい。
意識もせずあたり前に呼吸を続けていても、次の瞬間はわからない。口を開けたまま、二度と息を吸うこともなく、不意にこの世からさらわれていき、自分が死んだことさえ気づかない。死なんてそんなものだ。同じように生きていることも実に希薄で、死んでいると強く言われれば、そうかとうなずいてしまうぐらいの意味しかない。
さっきまであんなに胸が苦しかったのに、もう何も感じない。
ただ冷たくなって、体に力が入らない。
きっと僕は死に始めているのだろう。
自分がいるべき場所にやっと行けるのだとほっともしている。
今見えるのは雪と椿だけ。命を失った真っ赤な花の上に、白い粉雪がひらひらと降りつづけている。まるで死の床に手向けられた花のように。雪はその姿をゆっくりと押し隠し、白い墓場の中に埋めていく。
僕の上にも雪は降り積もる。
綺麗だな・・・。
にじんだ視界は真っ白になり、何もわからなくなった。
全てが閉ざされる瞬間、誰かが僕を抱き寄せた。温かな手のひらの感触。
誰なのか確かめたかったけれど、僕にはもう、そうするすべがなかった。
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