瞬間、世界が割れて

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   頂上から下を覗くと、先程登ってきた岩場の下、置きっ放しにしてある私のザックのそばに、もうひとつ黄色いザックが置いてあるのが見えた。  デポした際に、必要なものまで置いてきてしまうのはよくあることだ。私は腰に引っ掛けていた、自分のボトルを見下ろす。 「……ありますが、これ飲みかけなので」 「構わないですよ」  ……私が構うのだけれど。  そう思いながらも、私はこの会話を長引かせたくなくて、ボトルごと彼に渡した。  彼は、ありがとうございます、と一言言うと、少しの汚れや細かいことを気にしない登山者よろしく、それを受け取った。  ……余っている、というのは嘘だ。これが最後の500ミリリットルだった。  そのまま、私は前方を向き直った。もう少しだけ、この景色を味わっていたかった。  刻々と変わる雲の形は、時にその世界を滲ませつつも、完全に覆うことなくゆっくりと流れていった。  この場所だけ、時がゆっくりと進んでいるような錯覚を覚えた。むしろ止まってしまえばいいのに。  山の景色は一分、一秒でその姿を変えてしまう。永遠にこの景色を見ていられたら、どんなにいいだろう。  水を渡した彼は、後ろで何やらゴソゴソと作業をしているようだった。  悪天候と引き換えに頂上を独占できると思っていたが、やはりシーズン中の高山ではそううまくはいかない。山は誰のものでもないので、独り占めというのは傲慢な発想ではあったが。 「一瞬でも、晴れてよかったですね。ちゃんと写真に収められました?」  彼が、背後から話しかけてきた。  『話しかけないで』と背中で語っていたつもりだったが、伝わらなかったようだ。しかし、登山者が見知らぬ仲間につい話しかけてしまう特性を持っていることは、よく知っている。  彼の言葉は、私が首から掛ける一眼レフを見ての発言なのだろう。私は俯き、カメラを撫でながら答えた。 「……はい、先程」  それも、嘘だった。  
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