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長らく登山を共にしてきたこの一眼とも、今日でお別れのつもりだ。
今回の道中、一度も使われなかったこの子を慈しむように撫でる。滑っては、転んでは傷だらけになったその本体は、ボロボロになりながらもいつしか私の手にぴったりと馴染むようになり、それがそこはかとなく寂しさを感じさせた。
そしてしばらく、沈黙が続いた。
沈黙と言っても、互いに通りすがりのいち登山者に戻っただけだった。私は彼の存在を頭の中から消し、目に焼き付けるように目の前の景色を堪能した。
東側、雲の陰に隠れて太陽が見える。真横から差し込むその光は、ごつごつとした山の陰影をくっきりと浮かび上がらせ、その険しさを強調しているように見えた。
あの山も、この山も。この視界の中に登頂した山はいくつもあるが、険しくない山など無かった。
そのどれもがまるで修行のように、厳しい道のりだった。自分で望んだはずなのに、冷たく、長く、苦しい山行。
岩を登り、急登に心砕かれつつも、めげずに進んでいく。それでも悪天候や体調不良で頂上までたどり着けず、撤退することもあって。
それは、まるで……。
不意にふくらはぎをちょんと突かれ、どきりとした。
振り返ると、青年が右手にカップを持ち、にっこりと笑っている。
「はい。借りていた水、お返しします」
その笑顔は、子供のように無邪気だ。
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