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「外の物音から戦闘中だってすぐにわかった。そしてハルトからの手紙を見て事態を察した。でもね、ダメだよ。遺書みたいなこと書いたら」
マリーが真剣な眼差しで訴えかけてくる。マリーに残した手紙には、今までの出来事と経過、それに付随する思いを書き記しておいた。
「ハルトの手紙には、声を取り戻す必要はないって書いてあった。そのままの私でいいって。でも、あのときハルトが殺されそうになってるのを見て、今こそ声を出したい、魔法を使いたいって強く思ったの」
マリーは顔を伏せると握っていた僕の手を解放した。
「ハルトといるときだけは、声が出ないとか、魔法が使えないとか、カールステッドとか、何も気にしないでいられたの。でも、ピアノと向き合うときはどうしたって一人だし、魔法を使わなきゃいけない、声を出さなきゃいけないって思ってしまって。上手く言えないんだけど、ハルトと過ごしていろんな言葉をもらって、自分が自然に話したいと思えたら、声は出せるんだってことに気がついた」
「それで、あのとき魔法を?」
マリーは首を縦に振って、またピアノの椅子に座る。
「なんか疲れちゃった。話すの久しぶりだから」
そうして、またノートにペンを走らせる。
〈だから、ときどきノートで会話したいな〉
マリーが差し出したペンを受け取ると、その下に文字を書き連ねた。なぜか、くすぐったいような気持ちが襲う。
〈いいよ。マリーの気が済むまで〉
〈ありがとう。今度はハルトの話も聞かせてね〉
僕の話か。人に話せるようなことは何もないのだけど。
〈最後に。ピアノの演奏を聴いていって〉
マリーはノートを閉じて鞄にしまうと、ふたを開けて鍵盤の上に指を滑らせた。
顔を天井に向けると目を閉じて、深く息を吸い込み、白鳩の羽根をつかむように、そっと一音を響かせた。
ピアニシッシモから始まったその演奏は、淀みなく流れる清流のように何度も何度も同じメロディを繰り返しながら、音量を増していく。同時にいくつもの水泡が出現し、一つの大きなまとまりをつくっていった。
それは最初、馬に見えた。しかし演奏が進むごとに増えていく水泡は馬の背に翼を形成していく。
最後の一音が跳ねると、透き通る青色のペガサスは空を蹴り、教会を一周するとステンドグラスに向かい、その姿を消した。
マリーは、穏やかに、しかし満足気に微笑みを浮かべた。
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