三話 義政、究極の放置プレー

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足利尊氏が京都の室町に幕府を開いてから100年以上が過ぎたころ、時の将軍足利義政(あしかがよしまさ)は、あることを考え出すようになる。 それは、新しい政治のことでもなく、家来たちのことでもなく 「将軍やりたくねーマジ辞表出したい」 彼は征夷大将軍(武士のトップ)でありながら、政治に全く関心を示さなかった。 この頃、町では飢饉(ききん:人々が飢えで苦しむこと)や一揆(いっき:農民の暴動)が相次いでいた。 これらの対策をすべき立場であった義政は、これを完全放置。 「こんにちは義政。シバくぞボケ」 と、後花園天皇(ごはなぞのてんのう)に手紙でキレられる有り様であった。 彼の前の征夷大将軍は、長男の足利義勝(あしかがよしかつ)。 義勝が将軍職に就いたのはわずか9歳。 9歳で幕府を動かすのには無理があるため、もちろん周りの大人がサポートするのが通例だった。 彼は若くして亡くなったため、三男の義政がその職を引き継ぐこととなる。 そして彼もまた、8歳という若さで征夷大将軍となった。 彼は20歳で日野富子(当時16歳)と結婚。 彼らの間に子どもが生まれたら、その子に将軍職を譲ることができる。 しかし、彼らの間には長く跡継ぎは生まれなかった。 そこで、義政は 「義視、帰ってきてー」 出家していた四男の足利義視(あしかがよしみ)を呼び戻した(※出家時の名前は義尋[ぎじん])。 この頃、長男(将軍職に就く人)以外は出家することになっていた。 「なになに義政兄さん」 「俺将軍職やりたくねぇし、次やってくれん?」 「は?絶対嫌やし」 それもそのはず、もし義政と富子の間に跡継ぎが生まれたら、トラブルになるのは必至。 彼はそれを分かっていた。 しかし、義政の説得により、義視はしぶしぶ了承。 「わかった。じゃあ将軍職やるけど、その代わり絶対子ども(跡継ぎ)作らんとってや!あと、万が一の事があった時の味方みたいな人とかいないと俺やらんで」 義視のサポートには実力者の細川勝元(ほそかわかつもと)が就いた。 こうして、義政はようやく将軍職を引退することができる。
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