一話 煬帝、妹子にブチギレ

6/7
前へ
/237ページ
次へ
----------- ---------------------- 「てかさ、その手紙には何て書いたあったん?」 友人が妹子にたずねる。 妹子は手紙の内容について話し出す。 手紙にはこんなことが書かれていた。 「 日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや 」 それを聞いた瞬間、妹子の友人が、 「ちょー待ってwバリ隋のことディスってるやんw」 と吹き出した。 これを現代語にすると 「日が昇るところにいる日本の天子が、日の沈む中国の天子に手紙を書くよーん、元気かい?」 といった感じになる。 この手紙で煬帝がキレたポイントは2つあった。 まずひとつは「日の昇る倭の国」と、「日の沈む隋の国」、これらの表現だ。 確かに日本は中国からして東に位置するので、先に「日が昇る」のは日本である。 しかし、日が昇る=国が発展している、日が沈む=国が衰えている、と捉えるならば、隋は衰えている国、と解釈できなくもない。 そしてふたつめ、煬帝の逆鱗に触れたのが「天子」の使い方だ。 「天子」というのは中国の言葉で君主(国を治める者)を指す言葉。 君主は世界でひとりしかいないはずなのに、どこぞの小国(と、当時の中国は思っていた)である日本が、自国を「倭の国の天子が~」と名乗り出したのが、煬帝を怒らせた原因だったと言われている。 「そら君怒られるわw」 「てかさ、あの手紙俺が書いたわけちゃうし何で俺が怒られなあかんねん」 「てかさ、何で聖徳太子さんはこんな喧嘩腰の手紙を書いたんやろか」 それには聖徳太子の、ある「考え」があった。
/237ページ

最初のコメントを投稿しよう!

837人が本棚に入れています
本棚に追加