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檻の恋
唇が触れた。
その時私の恋は散った。
「ありがとう」という一言に、無上の喜びと少しの痛みを覚える。
痛みを誤魔化し、喜びを拾い、貴方に笑顔を向けた。
「それはようござんした。わっちがお役に立てたのであれば、花魁冥利に尽きるというものでありんす。」
そうして巣に帰る貴方の背中を見送った。
次の夜、酒を飲んだ。
普段相手から勧められても決して飲まないせいか、簡単に感覚が鈍っていった。
抱えていた喜びが大きくなるに連れて痛みも強くなっていく。
「貴方様にとってわっちは…」
そんなおこがましい台詞が喉から出そうになる。
一晩貴方に触れて貰えるだけでも私にとっては最高の誉れなのに。
この檻の中に入ってどのくらいの月日が流れただろうか。
両親の顔や故郷の景色はどんなものだっただろうか、とんと思い出せない。
売られてすぐの頃は寂しさからか母に抱かれている夢をよく見ていた記憶がある。
それも薄れ、最近見るのはとても幸せなものだった。
木漏れ日が溢れる枝に四人の姿がある。
貴方は男の子を担ぎ、女の人と寄り添って座っている。彼女の腕には赤子がいて、優しい笑顔を貴方に向けていた。
当然その女の人は私ではない。私はそんな一家を空から見下ろして歓喜の涙を流している。
ああ、良かった。
やっと貴方に拠り所ができたのね。
もう私の様な者と会わずとも癒しを求められるのね。
私は何のしがらみもなく太陽の下で羽ばたけるのね。
涙でぼやけた視界を閉じると、次に目に映ったのは檻の天井だった。
障子の隙間から一筋の朝日が薄暗い寝室を照らしている。
重い身体を起こして部屋を出る。
水を瓶から掬って口に含むとずくんずくんと唸っていた痛みが和らぐ様だった。
響くような頭の痛み。
突き刺すような胸の痛み。
疼くような下からの痛み。
それら全てが私の生を証明してくれているようで、愛おしさすら感じられる。
夜になればまた檻の中から乞わねばならない。
偽りの愛と確かな温もりを。
ならば今だけ、今だけは純粋に貴方を思う女でいたい。
貴方の幸せを心から願う一人の娘でいたい。
部屋から適当に羽織っていた着物に羽を通し、禿達を呼んだ。
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