【夏】1.過去、雨の日、捨てられて

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【夏】1.過去、雨の日、捨てられて

 長い、夢を見ている。  夢は記憶の整理というが、それは本当なのかもしれないと思うほどに、長く、嫌な記憶の夢。  雨が、ざあざあと降っていた。春の暖かさと降り続く雨の湿度が混ざって、肌に纏わりつく。  聖はこの雨をよく覚えていた。だからすぐにわかったのだ。これは夢であり、自分は過去を思い返している。しかし正体がわかったところで夢は終わらない。  これから始まるものを察して顔を背けようとしたが、家の屋根よりも高い空に身体が溶けていて動く気配はない。聖の意志関係なく、この夢は続くのだ。  近所では有名な屋敷の前で、傘も差さずに、濡れた地べたに腰をおろして膝を抱えている男の子がいた。 雨に打たれ、小さな肩が震えようとも、背にした大きな門はぴしりと閉まったままだ。 「……ぼくが、」  その子は膝に埋めていた顔を上げた。周りには誰もいない、だから雨と涙で汚れた顔を晒すことができたのだ。 「ベータじゃなかったら、よかったのに」  幼さがあれど、それは間違いなく聖自身である。髪も瞳も、鏡でみる自分と同じものだ。  これは、五歳の春。母が亡くなった翌日だ。  背にした屋敷は、名門である時田家のもの。これが聖の生家だ。だがもう帰ることはない。いや帰ることは許されていないのだ。  時田家では、性を重視しているためアルファを敬い、アルファの男を家督とする慣習があった。  アルファはリーダーとなる資格を持つ者。家督を継げなかったとしても、アルファであれば兄弟や親戚たちの未来は約束される。政治家や実業家、銀行員となったものもいるほどだ。  だがアルファでなかった場合。ベータが産まれれば―― 「ぼくがアルファだったら。おうちにかえれるのかな……」  服が濡れようがくしゃみをしようが、家の扉は開こうとしない。  幼い身には辛すぎる絶望だ。遠くから眺めている十八歳の聖に、当時の苦さが蘇る。
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