プロローグ

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信号が青に変わる。人の群れが動き出す。その一部に溶け込んで、長渡空人(ながと くうと)は止めていた足を踏み出した。 男、女、大人、子ども、私服、スーツ、多種多様な顔。 今、ここにいるのは確かに存在する一人一人の人間なのに、例えば日本の人口と比較してしまったら0%になってしまう。どんな物事にも当てはまる。大きな力の前に、少ない数は無力だ。 ふと耳に透明感のある歌声が入り込んできた。それは風が頬を撫でるように、すっと耳の中に流れ込んできて、自然と空人の顔を上げさせる。   視線の先に大型ビジョンがあった。その中では華奢な体形の女性が、さらりとした黒髪を揺らして、マイクに向かって魂を入れ込むように歌っている。その顔は強い逆光で影になり、わからない。 先月デビューしたばかりのミウは一切顔を明かさない言わば覆面歌手だ。バラード調の曲に切ない歌詞を乗せたものが多く、若者を中心に人気に火が付き、ビジョンの中ではもうセカンドシングルを発売することが宣伝されている。 特別、ミウやその歌に興味があるわけではない。それでも耳に入れば、こうしてつい目を向けてしまう。今から丁度10年前、まだ高校生だった空人の記憶が今の空人にそうさせる。 儚げなメロデイに、透明感のある歌声が乗る。マイクに向かって魂を入れ込むように歌うミウ。けれど、彼女は本当に歌っているだろうか。それ以前にちゃんと実在しているだろうか。 「空人!」 背後から聞こえた声にハッとして振り返る。 信号が点滅し、まだ渡り切れていない人たちが小走りで歩道に上がっていく。頭の隅で思い出そうとした記憶がチリチリと音を立てていた。 10年前、17歳、高校2年生、胸の奥で永遠に光輝く大切な思い出。
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