朔日

1/1
1900人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ

朔日

 シャワーを終え、脱衣所で濡れた身体を拭く。バスローブを羽織り、髪を乾かそうとドライヤーのある洗面台の前に立ったところで、晃の目にふと、それが触れた。  鎖骨から鳩尾(みぞおち)にかけて走る長い、長い傷跡。以前はそれが示す己の醜さに、つい傷から目を逸らしてしまうこともあった。が、茅野によって新しい意味を与えられた今は、むしろ誇らしささえ感じる。  その傷にそっと手を添える。  とくん。とくん。  胸郭の奥で今も鼓動を続ける心臓に、晃は心の内で語りかける。どうかこれからも、僕たちを見守ってください、と――  二年前のあの日以来、この心臓が異常を来すことは一度もなかった。  星野ひかりに譲られた心臓は、まるで生まれた時から晃の一部だったかのように穏やかな鼓動を保ってくれた。もちろん、拒絶反応を抑える薬は今も服用を続けているし、副作用で弱まった免疫力ゆえの生活の制約もある。が、そんなものは慣れてしまえば日常の一部であり、少なくとも、かつての不自由な日々に比べるならこの程度の制約は存在しないも同義だ。  そんな日常を授けてくれた――何より、茅野と出逢わせてくれた彼女の心臓に、今一度、晃は心尽くしの感謝を捧げた。  髪を乾かすと、いよいよ晃は二階へと向かった。  茅野は、一足先に寝室のベッドで晃を待っていた。  サイドボードに置かれたスタンドライトの光の中、身じろぎもせずにベッドに腰掛けた茅野の横顔は、気のせいか、ひどく思い詰めて見えた。二階のシャワーを使ったのだろう、晃と同じくバスローブを羽織っただけの身体はうっすらと水気を纏い、さっきまで綺麗に撫でつけられていた髪も、今は崩れた前髪がはらりと額を覆っている。  そんな茅野の隣に、晃もおずおずと腰を下ろす。耳鳴りがするほどの静けさの中、ぎし、とマットレスの軋む音だけがやけに煩く聴こえて、恥ずかしさに晃はぎゅっと身を竦めた。  今夜、このベッドで二人は一つになる。  それは、もはや夢想でも願望ですらもない。が、約束された未来を前に、今更のように晃は怖気づいていた。どこまで出来るのだろうか。出来たとして、同性のこの身体でどれだけ茅野を満足させられるのだろう――…… 「君とは、いずれ籍を入れたいと考えている」  不意に茅野が、そんなことを切り出した。部屋の隅の、光の届かない一角をじっと見つめながら。 「籍……ですか? でも、同性同士はその、」 「ああ」  晃の言わんとするところなど最初から承知済みとばかりに茅野は頷く。相変わらずその目は、部屋の隅の暗闇をじっと凝視している。 「もちろん、民法で言うところの婚姻は不可能だ。ただ、自治体によっては、疑似的な婚姻関係を公的に認める市区もある。むろん、男女の結婚に比べれば与えられる権利も限定的だが……それでも僕は、何らかの公的な証明をもって君をパートナーとして迎えたいんだ。これは君や、君のご両親に対する僕なりのけじめでもある」 「両親への……」 「実を言えば、君のご両親にはすでに話を通してある」 「えっ!?」  さすがにそれは初耳で、何より寝耳に水だった。  実を言えば晃自身、いつかは茅野との関係を両親に明かさなければと思っていた。ただ、いかんせん同性同士ということもあり、なかなか打ち明けられずにいたのだ。  ただでさえ両親には迷惑ばかりかけてきた。そんな両親にできる唯一の親孝行といえば、普通に女性と結婚し子供を成すことだろう。が、茅野をパートナーに選ぶということは、つまり、その可能性を潰すことを意味する。  そうでなくとも、息子に〝普通〟の暮らしを授けるべく安くない犠牲を払い続けてきた両親に、あえて〝普通〟ではない人生を選びたいなどとは口が裂けても言えなかった。  今回、両親はこれまでと同じように晃を旅行に送り出してくれた。これが二人の答えだと言うのなら、実質、茅野との関係を認めてくれたと考えても良いだろう。それでも、茅野がどうやって晃の両親を説得したのか、対する両親は、どういった面持ちでそれを聞いたのか、それだけはどうしても気になった。 「あの、父さんと母さんは何て……」 「困っていたよ。それに、憤慨もしていただろうね。無理もないさ。苦労して育てた一人息子を、こんな、一回り以上も年の離れた同性のおっさんに盗られるんだ。良い気はしないだろう。でも言葉を重ねて、重ねて重ねて……先月、ようやく許可を頂いた。指輪も買ってある。見るかい?」 「……指輪」  またしても晃は面食らう。まさか指輪まで。ただ、こうも自分抜きであれこれ話を進められると、少し不安にもなる。大人として扱わせてほしいと言われた矢先だけに、余計にそう感じられた。 「そういうのは、二人で選んで買うものじゃないんですか」  つい不満を口にしてしまう。茅野もそこは悪いとわかっていたのだろう、振り返り、ばつが悪そうに苦笑すると「サプライズというやつさ」と食えない顔で言った。いざという時もさらりと狡いことが言える、こういう部分では、大人として一日の長がある茅野にはまだまだ敵わないなと晃は思う。  その茅野は、何食わぬ顔でサイドボードの引き出しから小さな箱を取り出すと、晃に中身を見せるかたちでそっと蓋を開く。現れたのは、シルバーカラーのリングに小さなダイヤモンドがひっそりと輝く、シンプルだが気品のあるデザインの指輪だった。それも、一対。  その、小さい方の指輪を茅野は箱から取り出すと、晃の左手を取り、おもむろに薬指に通した。  まるで結婚式だ――  ふと、そんなことを晃は思う。誰に見守られることもない。華やかな音楽も友人たちの祝福もここにはない。二人だけの結婚式。二人だけの、新たな門出。 「結婚式……ですね。まるで……」 「式は、いずれきちんと挙げよう。……でも、そうだな、確かにこれは一足早い結婚式だね」  ふふ、と頬を緩めると、茅野は「指輪の交換を」とおどけつつ、もう一方の指輪を晃に差し出してくる。手に取り、茅野の左手薬指に嵌めると、茅野は嬉しそうに目を細めた。  そんな茅野の手に、晃は自分の手のひらを並べる。同じデザイン、同じ輝きが二人のパートナーとしての絆を証明してくれているようで、愛という形のない感情を改めて形にすることで抱かされる感動を晃は噛みしめていた。  指輪の触感には、正直まだ少し違和感がある。何より、自分のような学生がこんな高価な指輪を嵌めて良いのかという申し訳なさもある。貴金属には詳しくない晃だが、これはおそらくプラチナだろう。  それでも……装着を続けるうちに、いずれ身体に馴染んでゆくのだろうか。そうやって指輪が肌に馴染むのと同じように、茅野との新しい関係も心に馴染んでいけば良い。 「ああ、そうだ」  肩を抱かれ、指先で顎を掬われる。熱を帯びた茅野の双眸が、じっと晃を見下ろしていた。 「結婚式なら、誓いのキスをしなきゃ」 「ち、誓い――」  戸惑いの言葉を口にする間もなく、茅野のくちびるが重なってくる。最初は軽く啄むように。二度目は、互いを舐め溶かすようにじっくりと舌先を絡めた。  やがて名残惜しそうに口づけを解いた茅野が、ふと、寂しげな目をする。 「ひかりとは、結局、籍を入れることは叶わなかった」  そういえば、以前そんな話を茅野に聞かされたことがある。星野ひかりは肉親の介護で、茅野は父親の癌治療のためにそれどころではなかったらしい。だが、周囲が落ち着いたらいずれ、と後回しにするうちに結局こんなことになってしまった。 「それは、でも、タイミングが――」 「もちろん、タイミングが悪かったせいもある。けどね、それ以上に、どこかで慢心していたんだろう。この幸せがいつまでも続くものだとね。……でも、そうじゃない。幸せは、ある日突然何の前触れもなく奪われてしまう。だから……」  ふたたび晃の手を取り上げると、茅野は、その手に嵌る指輪にそっと口づける。くすぐったいそのくちびるは、心なしか震えていた。 「そばにいます、ずっと」  すると茅野は、手を取ったまま晃にそっと微笑みかける。 「ありがとう。けど俺は、もう、永遠なんて信じないことにしているんだ。別に君の浮気を疑うわけじゃない。そうじゃなくて……君も知っての通り、人はいずれ死ぬ。遅かれ早かれ死ぬんだよ」 「それは……」  真理だ。あまりにも否定しがたい真理。だからこそ晃は、その与えられた生を精一杯生きたくて健康な心臓を求めたのだ。 「ならばせめて、大切な人と身を寄せ合う一瞬一瞬を大事にしたい。それだけじゃない、きちんと形あるものとして残したいのさ。今度こそ……」  そう呟く茅野は、心なしか泣いているように晃には見えた。晃に黙って両親に話をつけたのも、サプライズと称して密かに指輪を買い揃えたのも、あるいは、そうした後悔と焦りのせいもあったのかもしれない。  そういえば、さっきからやけに胸が痛い……いや、違う、痛むのは胸ではない。心だ。 「……ん、」  ふたたび口づけられ、それはすぐに深くなる。吐息を絡め、茅野の舌先に口腔を弄ばれながら晃が考えていたのは、この痛みこそが愛なのだろうかというささやかな疑問だった。だとすれば――まだ茅野の名前も知らない頃、夢の中で泣き崩れる男に抱いていたあれも、今にして思えば愛だったのだろう。  手を差し延べたくて、でも、届かないもどかしさに心が痛んで。  その男と、晃は今を生きている。  やがて茅野は、腕で抱きかかえるように晃の身体をベッドに押し倒す。背中を受け止めるスプリングの優しい反発と、茅野の逞しい胸板とに挟まれながら、晃はうっとりと目を細めた。  その間も小刻みに顎の角度を変えながら、二人はくちびるを求め合う。 「痛くないかい」  訊ねる声は低く濡れていて、声からも高揚が伝わってくる。気遣いよりも、むしろ同じ気持ちでいてくれることの方が嬉しくて、晃はふっと頬を緩めた。 「はい」  すると茅野は、安堵したのか口元を綻ばせる。その笑みはしかし、ただの善良な大人のそれではなかった。獰猛さと欲望とを孕んだ笑みは、大人という人種が持つ別の側面を晃に伝える。――が、それはきっと、今の晃にもすでに備わる一面なのだ。  その証拠に今は、変に気遣われるよりは無我夢中で求められたい。 「初めてだから、できるだけ優しくしたい。けど……それでも辛いときは、遠慮なく教えてほしい」 「……はい」  頷きながら、その必要はないだろうと晃は内心呟く。たとえ拒まなくとも、晃が嫌がる真似を茅野は決してしないだろうし、そうでなくとも今は、多少の苦痛を堪えてでも茅野の欲望に全霊で応えたかった。  この二年半――否、星野ひかりを喪ってからは丸三年、茅野は愛する人と求め合う機会を奪われてきた。その主な原因が自分の幼さだったことを考えるなら、むしろ晃は今夜こそ彼の欲望に応えずにはいられなくなる。  晃の腕に置かれていた茅野の手が、腕から肩、首筋へとゆるやかに滑る。手は、今も晃の肩を覆うバスローブを慎重に剥ぐと、剥き出しになった胸板に手のひらをそっと這わせた。  冷えた夜気に粟立つ肌を、乾いた手のひらが優しく宥める。  さらに茅野は、露わになった晃の肩に軽く口づけた。続けて今度は首筋に、鎖骨に、そして喉仏に――そうして口づけられた肌は、炙られたように熱を帯び、じんと疼いて晃を戸惑わせる。  これは……もう、始まっているのだろうか。ただ、漫画やAVでしか事前知識を得られなかった晃には、こうした行為を何と呼べば良いのかわからない。てっきり、すぐに挿入に移るものと思っていたのに……  あるいはこれが、大人のセックスなのだろうか。  そうこうする間に今度はもう一方の肩も暴かれ、同じようにキスの雨を受ける。 「……ん、っ」  やがてくちびるは、胸の手術痕を捉える。正中線をまっすぐに辿る傷痕に熱いキスを受けながら、その奥で心臓が嬉しそうに跳ねるのを晃は感じていた。  ああ、感じる。  彼女も、星野ひかりも喜んでいる。根拠はないが、なぜかそう確信できる…… 「茅野、さん」 「瑛士でいい」 「……え?」 「名前で……下の名前で呼んでくれ。そういう関係だろう、今の俺たちは」 「はい……あ!」  不意に胸の突起を舐られ、思わず声が出る。慌てて目を落とせば、なぜか執拗に乳首を舐めずる茅野がいた。何故そんな場所をと戸惑う晃をよそに、なおも茅野はそこを舐る。舌の腹を押し当てるように舐め上げ、かと思えば尖らせた舌先で小突き、唇で吸い上げる――ひょっとして、女性の身体と勘違いしているのか。言われてみれば茅野は、同性の恋人と付き合うのは今回が初めてだ…… 「や……やめてください」 「痛い?」  不安げに顔を上げる茅野に、晃は小さく被りを振る。 「そうじゃなくて……僕、女の子じゃないです。そんなとこ、舐められても――ひぁ」  またしても変な声を上げてしまう。茅野が、唾液で濡らした自らの指をもう一方の晃の乳首に這わせたのだ。そのまま指先は、捏ねるように晃の乳首を弄り回す。まだ柔らかく平坦なそこを指の腹で輪を書くように撫でながら、時折つんと縊り出すように摘み上げ、捻った。 「あ……だから、それ、いや……っ」 「嫌だけど、痛くはないんだ?」 「っ――それは、」  見ると、茅野に舐めずられた方の乳首はすっかり立ち上がっている。二十年も付き合いを共にする自分の身体なのに、こんな状態と化したところは見たこともない。  紅潮し、乳輪ごとぷくりと膨れたそこは、性器でもないのにひどく淫靡に見えた。 「や……な、何ですか、これ……ぁ」  今度は、それまで指で弄られていた方の乳首を乳輪ごと含まれる。口腔の中で激しく吸われ、奔放に転がされると、指の時とは比較にならない痺れが背筋を走って、晃はびくびくと背筋を仰け反らせた。  さらに追い打ちをかけるように茅野は晃の手を取ると、その手を晃自身の胸に運び、告げる。 「今度は自分でやってごらん」 「え……じ、自分で……?」  返事の代わりに、茅野は晃の唇に軽く口づけると、今度は首から胸、腹へと口づけを移してゆく。散々煽られた挙句放置された乳首は、結局、自分で慰めるほかなかった。  観念し、おそるおそる指を伸ばす。乳首は、信じられないほど浅ましく形状を変えていた。しかも、散々茅野の舌に舐めずられたせいか唾液でひどくぬるついている。  それを塗り込むように乳首を摘まみ上げる。痺れとは異質な何かがぞくり背筋を走って、覚えずか細い悲鳴が漏れた。 「ぁ……ん」  何だこれ。こんな、親に甘える子猫みたいな声――でも、止まらない。声も、それに指も。 「んっ……んぅ、ふ、……ん、ぁ」  本当は、すぐに止めるつもりだった。  ところが一度触れてしまうと、なぜか病みつきになって、なおも指先でしつこく捏ね回してしまう。その感覚に晃は覚えがあった。初めて亮介に自慰の仕方を教わった時、気持ち良すぎて止められなくなり、亮介にストップをかけられるまで繰り返したあの時の心地だ。今にして思えば、友人に自慰を見せるのはどうかという話だったが、当時は本当に、ただの排泄のつもりでいたのだから仕方ない。  が、今はこれが性的で浅ましい行為だと自覚していて、なのに止められないのだ。乳首を弄る指が止まらない。こりこりと捻るだけでは飽き足らなくなると、今度はあえて爪を立て、少し強めに抓り上げた。すると、痛みを伴う新鮮な刺激が背筋を走って、覚えず晃は鋭い悲鳴を漏らす。  一方の茅野は、晃の脇腹やへその周囲を細やかなキスで丁寧に慰める。その顔をふと上げると、笑声まじりに言った。 「好きなの、乳首」 「わ……わかりません……」 「でも、さっきから止まらないね、指」 「それはっ……だって、熱くて……」  そうだ。これに関しては散々熱を注いだまま無責任に放り出した茅野が悪い。おかげで今も爛れるようで、こうして触れてやらなければ鎮めることもままならない。  いや、そもそも鎮まっているのだろうか。  むしろ、より熱くなってはいないだろうか。それも乳首だけでなく…… 「――あ」  その熱をさらに煽るように、晃の内股を乾いた手のひらがそっと撫でる。バスローブを割って滑り込んだそれは、晃の肌の感触を確かめるように撫でながら、ゆっくりと、足の付け根へと滑ってゆく。  一応、事前にAV等で最低限の情報を仕入れた晃は知っている。男同士のセックスはそこを使ってするのだ。そして、茅野とするのなら自分は受け入れる側に回りたいと晃は思っていた。  うまくは言えないが、〝(おんな)〟と化す茅野を晃は見たくなかった。たとえベッドの上でも――むしろベッドの上だからこそ茅野には憧れの男、いや(おとこ)であってほしい。だからこそ晃は、この日のために密かに受け入れる練習を重ねてきた。指や器具を使って少しずつ後ろを慣らし、ネットで洗浄の方法も学んだ。今夜も実は洗浄を済ませていて、いつ触れられても構わない程度には準備を整えている――それでも、実際に触れられるとなると怖くて、乳首の慰撫も忘れて晃は身構える。  ところが茅野が触れたのは、散々準備を整えたそこではなかった。 「――っ」  ボクサーパンツ越しに、茅野の手が前のふくらみに触れる。両親を除けば病院の看護師と、初めての自慰を手伝ってもらった亮介にしか触れさせたことのないそこは、触れても茅野自身は面白いはずもなく、なぜそんな所をと晃は狼狽する。ところが茅野の方は、そんな晃の狼狽などどこ吹く風で指を這わせると、ふくらみにそってすべすべと上下させた。 「すごいね。乳首だけでこんなに……」  ふくらみに顔を寄せ、囁く茅野はいつになく意地悪で、しかし、実際に固くしている晃には反論の言葉もない。確かに、AVでは男性同士で乳首を弄る描写もあったけれども、ここまで感じる場所だったとは、自分で経験するまで想像もしなかった。 「っ……すみませ……」  恥ずかしさに耐えきれず、晃は腕をクロスさせて目元を隠す。茅野の指に(くすぐ)られるそこは、触れなくともわかるほどぎちぎちに熱を帯びていて、今すぐにもパンツを脱いで夜気に晒してやりたい程だったが、元は異性愛者の茅野の目に晒すのは気が引けた。できれば前は隠したまま、後ろを使って欲しかった。そのための準備は整えてきた。なのに……  ところが、そんな晃の戸惑いを知らない茅野は、なおも煽る手つきでそれを慰める。 「……直接触っても?」  返事の代わりに、目元を隠したまま晃は無言でかぶりを振る。さすがに直接は嫌だ。こんなみっともないものを、茅野の目や肌に触れさせるわけにはいかない。ところが茅野は、嫌なら言えとあれほど言っておきながら、布地の奥にそっと指先を忍ばせてくる。 「だ……だめ……」 「痛い?」 「い、痛くは……ないです、けど、」 「じゃあ触らせて」  強引に押し切ると、ついに茅野は晃のそれに指を絡めてしまう。慣れない他人の指の感触に晃が息を詰めていると、手は、やがておもむろに上下運動を開始した。排尿を手伝う看護師の手つきとも、〝排泄〟としての自慰を教える亮介の手技も違う。ただ慰めることが目的の手つきに、晃の芯は否応なく昂らされてゆく。 「や、やだっ、だめ……」 「やっぱり痛いの?」 「違う、違い……ますっ、けど……」 「じゃあ、大丈夫だね」  どうも今夜の茅野は、度の過ぎた苦痛を与えない限りは何をしても構わないと考えているらしい。ならばいっそ、痛いと嘘をついてしまおうか――が、そうする気になれないのは何故だろう。がっかりさせたくないから? 茅野を満足させたいから?   わからない。でも―― 「先っぽ、ぬるぬるしてるね」  言いながら茅野は、思い知らせるように晃の先端を指先で擦る。ジェルでも塗りつけたかのようなぬめりの存在に、その意味するところに、晃はかぁっと耳の後ろが燃える心地がした。 「ち、ちが――違います、これは――ぁ、」  不意にボクサーパンツを暴かれ、火照った芯を夜気が覆う。あれほど待ち望んだはずの解放に、しかし、晃が得たのは更なる不安だった。同性のこんなものを暴いて、一体、茅野は何を―― 「リラックスして」  ふたたび晃のものに手を添えると、やんわりと扱きながら茅野は囁く。優しく慰撫する声に晃の心がほぐれたのも束の間、茅野は、今度は晃の内股に身を沈めると、内股の柔らかな皮膚を小刻みに啄みはじめた。そして―― 「――あ、あぁ、っ」  信じられない光景に晃は目を疑う。茅野のくちびるが――普段、隙のない弁舌でもって検事たちに恐れられる茅野のくちびるが、晃の中心を根元まで深々と銜え込んでいたのだ。 「や、やだ、瑛士さん、それだけは、いやぁ――」  半ばパニック状態のまま晃は喚く。が、茅野は止めない。絡めた指で根元を扱き、舌先で芯と裏筋、先端を丹念に舐りながら晃を追い詰めてゆく。同性ならではの弱い場所を知り尽くした愛撫に、雑な手淫による自己処理の刺激しか知らなかった晃は、与えられる未知の刺激にただ悶えるしかなかった。 「いや、やです、やだ、あぁ――んっ」  背中をアーチ状に反らし、釣り上げられた魚のようにシーツの上で身を捩りながら、あられもない悲鳴を晃は上げる。その間も身体は確実に追い詰められ、意志とは無関係に腰ががくがくと揺れる。  自ずと足が開いてゆき、立てた膝が爪先立ちになる。 「い……いや、あ、あんっ……」  またしても口腔に根元まで含まれ、今度は頬の裏側で扱かれる。包み込む柔らかな粘膜の感触に、ふと強い吐精感を覚えた晃は慌てて上体を起こし、茅野を引き剥がそうとその肩に手をかける。が、それを茅野はさりげなく振り払うと、それに吸い付いたまま咎める目で晃を見上げた。  そんな茅野に、晃は切羽詰まった声で懇願する。 「は、離れて、出る……出るんです、もう」 「じゃあ、このまま出しなさい」 「――え」  厳しく命じる口調に晃は一瞬、茫然となる。できるわけがない。衛生面での不安もある。が、それ以上にあの茅野を――晃にとっての憧れを、己の排泄物で穢すわけにはいかなかった。  その間も茅野は、晃の無知な身体を追い詰めてゆく。より強く芯に吸い付くと、口腔全体で扱くように首を激しく上下させた。 「いや、いや出る! 出る――っ」  錯乱する晃にさらに追い討ちをかけるように、茅野のもう一方の手が晃の陰嚢(いんのう)をやんわりと揉む。男芯へのムチと(ふくろ)へのアメ。性質の違う二つの刺激に翻弄された晃は、わけがわからないまま気付くと茅野の喉に精を叩きつけていた。  ところが茅野は、それだけでは飽き足らないのかさらに晃を扱くと、芯に残る精さえも余さず吸い上げてしまう。 「ど……うして……」  乱れた息もそのまま半べそで問えば、ようやく芯から顔を上げた茅野は、何でもない顔でそれを飲み干し、答える。 「そういうものだからだよ。少なくとも……俺にとってセックスとはこういうものだ。愛する人の全てを、遠慮なく食べ尽くす……熱も、存在も、何もかもね」  身を起こすと、茅野はその指先を晃の頬に伸ばす。その手つきは、今しがたまでの強引さが嘘のように優しい。 「どうして君を好きになったのか、まだ話していなかったね」 「――え」  突然の話題の飛躍に晃は戸惑う。なぜ今そんな話を。そもそも、今更そんな答えの解りきった話に意味はあるのか。晃が星野ひかりの心臓を受け継いだから――それ以外の理由など存在するのか。 「君が、バッティングセンターで初めてヒットを打った時」 「え?」 「あの時にね、この子の〝初めて〟を全部、俺のものにしたいと思ったのさ。初めての喜び、初めての戸惑い、初めての感動……そして今夜、俺はまた一つ君の初めてを手に入れた」 「それって……」  言いようのない不安が胸を包んで、昂っていた身体が急激に醒める。ということは、茅野が全ての〝初めて〟を手にしたその時、もはや用済みとなった晃は捨てられてしまうのではないか。飲み終えた牛乳パックみたいに――もちろん、彼女の心臓がこの胸にある限りその可能性は低いと信じたい。が、茅野には、新たな女性と結ばれ子をなし、家族を儲ける権利もある……  そんな晃の不安を読んだかのように、茅野は「そうじゃない」と囁く。 「君と迎える一日、いや一瞬の一つ一つが、俺にとっては何よりも鮮烈な〝初めて〟なんだ。その全てを手に入れたいってことは……わかるだろ?」 「……あ」  ――あの人を未来に連れて行って。  二年前のあの日、拒絶反応の最中に見た夢とも幻覚ともつかない何か。あれは、結局何だったのだろう。晃自身が練り上げた都合のよい夢か、あるいは本当に、危機の最中に彼女の心臓から届けられたメッセージだったのか。  ただ、あの時はその意味するところが正直よくわからなかった。  それが今、ようやく腑に落ちた気がした。 「……ん」  ふたたび身を屈めてきた茅野が、晃のくちびるにそっと口づける。口淫を終えたばかりのくちびるとのキスに、ほんの一瞬躊躇を覚えた晃だったが、熱い舌先に舌を絡め取られると、すぐにどうでも良くなってしまう。 「全部欲しい。過去、今、そして未来の……」  なおもくちびるを求めながら、茅野が熱っぽく囁く。その甘い響きに脳髄が蕩けるのを心地よく感じながら、今の言葉こそ紛れもないプロポーズだと晃は思った。晃の未来、その全てを欲するということはつまり、最期まで添い遂げたいと宣言したも同義だ。 「僕も……瑛士さんになら、貰ってほしい……全部……」  すると茅野は、嬉しそうににっと口角を上げる。その、普段の穏やかな微笑とは違う貪欲な笑みに晃が感じたのは、やはり怯えではなく、恋人として求められる事への素直な悦びだった。 「――っ、」  ふたたび内股に茅野の手が触れて、咄嗟に晃は息を詰める。手は、今度こそ晃が準備を整えた場所を目指すと、狭間を割りながら慎重にそこに触れた。しっかりと洗ってあるので、前を弄られるほどの抵抗はない。それでも、あの茅野の手がと考えるだけで途端に後ろめたさが募ってしまう。  やがて指先が窄まりに触れる。が、少し周囲をまさぐったところですぐに手を離してしまう。さすがに衛生面での抵抗があるのだろうか。 「あの、ちゃんと洗いましたから、中も……」  打ち明けた後で、期待していたと白状したも同然だと晃は恥ずかしくなる。慌てて枕を掻き寄せると、熱く火照った顔をぎゅっと埋めた。  ところが茅野は、そんな晃の頬を枕から優しく掬い出すと、こめかみを啄み、囁く。 「君も、用意してくれていたんだ」 「……も?」  晃の問いには答えず、代わりに茅野はサイドボードの引き出しから歯磨き粉に似たチューブを取り出し、手のひらに中身をあける。ぬらぬらと輝く透明なそれは、どうやら潤滑剤らしい。  人肌に温めるためだろう、しばし両手で包み込むように揉むと、やがて、そのぬめりを指先に移し、ふたたび晃の狭間に潜り込ませた。潤滑剤のぬめりを得た指先は、先程よりもなめらかに窪みをほぐすと、ややあって、ゆっくりと奥に沈んでくる。  痛みはなかった。子供の頃から座薬を含む薬の投与には慣れていたし、そうでなくとも、茅野とこうなる覚悟を決めてからは自分の指でも時折慣らしていたから。それでも、これが茅野の指というだけで特別な感じがする。違和感や異物感といった言葉では言い尽くせない何か。あの人に中を求められている――その事実が示す悦びと充足。 「大丈夫? 痛くない?」 「……ない、です」  むしろ心地良過ぎて腰ごと熔け落ちてしまいそうだ。ただ、これが指だからまだむず痒さで済んでいるのだ。彼自身を受け入れるとなれば、当然、痛みもするだろう。  それでも今は、恐怖よりは期待の方が大きい。 「ぁ……ん、っ」  覚えず腰が浮き、しどけなく股を開いたまま爪先立ちになる。天井に向けて腰を突き出すと、いつの間にか芯を取り戻した晃の自身が腹の上でぶるりと跳ねた。まさか後ろだけで、と唖然となったそばからふたたび茅野が前に吸い付き、前と後ろから容赦なく注がれる喜悦に晃は身も世もなく喘いでしまう。 「っ……や……ぁあ」  なおも茅野の指は奥を目指す。晃の指では届かなかった深い場所も、茅野の指先はいとも容易く暴いていった。 「ひあっ!?」 「どうした?」 「そこ……駄目です、痺れる……」  咄嗟に茅野の腕を掴み、それ以上は駄目だと視線でも訴える。  事実、たったいま茅野が触れた場所は妙だった。痛みこそないが、軽く撫でられただけでじんと痺れ、爛れたように奥が熱くなる。ところが茅野は、何を思ったかふたたびそこに触れると、今度は指の腹で押すようにくりくりと撫で回し始める。 「えっ、な――なんで、あ――っ」  なんだこれ。痺れる。あつい――怖い。  がくがくと腰を揺らしながら、恐怖と混乱に晃は悲鳴を上げる。もはや未知と言っても差支えのない刺激は、晃のなけなしの理性さえ容赦なく奪っていく。 「いや、もう、やだ――」 「いや? こんなに絡みついてくるのに?」  不意に耳元で低く囁かれ、背筋が疼いた弾みで軽く射精してしまう。見ると、いつの間にか口淫を解いた茅野が、鼻先が触れ合う距離でじっと晃を見つめていた。 「さっきから凄いことになってる……晃も触ってみるといい」  突然呼び捨てにされ、しかし、恐怖や反感どころか心地よさすら感じてしまう自分に晃は驚く。これまで何となく感じていた、薄皮一枚分の隔たり。それを不意に取り払われたことでガードが緩んだのか、言われるがまま晃はそこに手を伸ばした。 「な……にこれ……」  晃の中は、絹のように柔らかく蕩けていた。  慣らすために仕方なく指や器具を入れていた時とはまるで違う。もはや別の生き物と呼んでも差支えがないほどに蕩けたそこは、すでに茅野の指を呑み込んでいるにも関わらず、晃の指も難なく銜え込んでしまう。  そこへさらに茅野が二本目の指を入れてきたが、わずかに圧迫感が増したばかりで痛みも、不快感さえ皆無だった。 「これだけほぐれていたら、怪我の心配もなさそうだ」  安堵と、それ以上の情欲が籠る声に、晃は、それまで茅野がどれだけ我慢を強いられていたのかを今更のように悟る。これまでは次々と暴かれる自身の淫らな一面にただ戸惑うばかりだった晃だが、今の言葉が晃自身も知らないスイッチを押したのだろう、羞恥や戸惑いよりも、満たし合いたい欲が俄かに強くなる。  今度は自分の方から茅野のくちびるを啄むと、ください、と鼻先で小さく囁いた。 「欲しいんです。瑛士さんの……」 「……ああ」  目の前で、茅野が小さく喉を鳴らす。強い欲望が滾るその目に、晃はしかし、もはや怯まなかった。  やがて茅野は、惜しむようにゆっくりと指を抜き取る。それを引き留めるかのように、中の肉が茅野の指にぢゅっと絡みつく。こんな感覚も、訓練のために自分の指で慣らしていた時は一度も経験しなかった。  欲しがっているんだ。心だけじゃない、身体も……  指を抜くと、茅野はおもむろに身を起こし、晃の両膝を抱え上げる。セックスには様々な体位があることは知っているが、せめて初めての時は、茅野の顔が見えるこの体位でしてほしいと密かに願っていた。まさか茅野がその願いを知るはずもないだろうが、同じように茅野も晃を見つめながらしたかったのだろうかと思うと、それだけで胸が熱くなる。  そんな晃の昂りは、しかし、茅野のバスローブから現れたそれを目にした瞬間凍り付く。  それは、想像以上に立派な砲身だった。  人並みに比べ貧相な晃のそれに比べると二倍近くはある。平均と比べてもまだ大きいだろう。太くはないがすらりとして形良く、何より、美しい反りは丹念に鍛えられた日本刀を彷彿とさせた。そんな茅野の砲身が、大きく鰓を張ったまま夜気の中で力強く屹立している。  入るだろうか、こんなものが――  ところが身体の方は、晃の懸念とは裏腹にぞくり疼いてしまう。己のふしだらさに驚きつつ、誘われるように晃はそれに手を伸ばすと、指先であやすように亀頭を、長い刀身を撫で回した。 「……大きい」  うっとりと見つめながら、なおも晃は茅野の中心をあやす。大きく張った鰓。罅のように浮かんだ血管……どのパーツも溜息が出るほど美しく、それに逞しい。まるで茅野本人だ。細身でしなやかで、何より美しい。  そのまま晃は、茅野の雄を自身の後孔に誘った。 「これは、さすがに痛いかもしれないけど……」  素早くゴムを嵌めながら、詫びるように茅野は告げる。わざわざそう前置きするということは、ここから先は痛くても止めるつもりはない、ということだろう。  晃も、苦もなく受け入れられるなどとは思っていない。これだけの質量が内臓を押し上げるのだ。痛みも圧迫感も指や座薬の比ではないだろう。――にもかかわらず身体は、この雄に刺し貫かれる瞬間を待ち望んでいる。  一つに融け合うことを求めている。 「……瑛士、さん」 「ああ」  晃の柔らかな場所にそれがあてがわれる。熱く蕩けた柔肉を、さらに熱く焼き焦がすそれは鉄のように硬く、茅野の雄としての意志を何よりも如実に伝えてくる。やがて―― 「――あ、」  ついに中へと押し込まれる雄。左右に大きく張った鰓が、すでに茅野の手指によって蕩かされた肉をさらに押し広げながら奥へ、奥へと埋められてゆく。肉壁越しに伝わる熱と硬さ、逞しさに驚きながら、それでも晃は背一杯力を緩め、茅野を招き入れた。 「息を吐いて」 「は、はい――っ、はぁ」  晃が息を吐いたほんの一瞬を見計らい、茅野の芯が一気に叩き込まれる。内臓が大きくせり上がり、強烈な圧迫感に晃は声にならない悲鳴を漏らした。 「頑張ったね」  苦痛に喘ぐ晃の額を、労うように茅野は撫でる。その優しい手つきに、ようやく晃は苦しみが和らぐのを感じた。  肋骨が浮くほど痩せたこの身体に、今この瞬間、茅野の雄がまるごと収まっている。信じられない現実にしばし途方に暮れながら、晃は、やはり信じられないほど深い場所で脈打つ茅野の熱を感じた。 「す……すごい、感じる……瑛士さんの……」  そんな晃の健気な身体を、茅野の腕がそっと抱き寄せる。包み込む体温の優しさにほっと息を吐いたその時、晃の耳元で、茅野もまた重い溜息をつくのが聞こえた。 「動いても?」 「……はい」  頷き、茅野の肩に手を回す。本当はもう少しこの質量に慣れる時間が欲しかったが、茅野の声が孕む欲望は、もはや一時も猶予も許さない程に切羽詰まっていた。そうでなくともこの二年半、晃のために我慢を強いられた茅野だ。その気遣いと忍耐は報われるべきだし、それに晃も、今は満たされるより満たしたい。  やがて茅野は、ゆっくりと晃を揺さぶりはじめる。ジェルのぬめりを借りた抽挿は思いのほかスムーズで、痛みこそなかったものの、やはり重い。それでも必死に堪えていると、圧迫感の中にもそれとわかるほどの喜悦が生まれて、それは燎原の火となって晃の五体にみるみる広がっていった。 「あつ……い、です、あっ、んっ」 「晃も……すごく、熱い……っ」  どちらともなくキスを求め、くちびるを重ね合う。これまでのキスが冗談だと思えるほど激しく噛みつくようなキスに、茅野もまた昂っているのだと晃は知る。 「晃……晃っ」  淫らな水音が、ベッドの軋む乾いた音と混じりながら夜の静寂を穢してゆく。口づけの音か、それとも結合部の粘膜が擦れ合う音か。晃には知りようもないし、この期に及んではどうでもいいとさえ思う。 「瑛士、さんっ……あぁ」  喉を反らして喘ぎながら、辛うじて茅野の名を口にする。  先程、茅野の指に散々煽られたあの場所が、茅野の雄に突き上げられるたび狂おしいほどの疼きを生んでいた。シーツの上で激しく揺すられ、涙と涎で顔をぐちゃぐちゃにしながら、なおも晃は茅野の唾液を啜り、喘ぐ。  ああ、まるで嵐の海だ。  これほどの激情が、愛欲が、あの理性的な恋人の中に雌伏していたことに晃は驚く。が、いずれも紛れもなく茅野本人で、そのどちらも晃は愛しくてたまらなかった。さらに口づけを深くし、唾液を求めれば、応じるように茅野も舌を絡めてきた。 「晃」  ふと口づけを解いた茅野が、何かを確認するように晃を見下ろす。その目は、なぜか泣き腫らしたように濡れていた。 「愛してる」  不意にずるりと抜き取られ、半端に煽られ行き場を失くした熱に悲鳴を上げかけたその時、今度は一気に最奥まで貫かれ、脳髄をしたたか揺さぶられる。 「んっ――は、」 「晃っ……晃!」  なおも無遠慮に砲身を叩き込みながら、茅野は恋人の名を呼ぶ。その、低く掠れた声に心地よさを感じながら、一方で、確実に絶頂へと追いつめられる自分を晃は意識していた。 「だ、だめ、おかしく、なる――」 「じゃあ、なればいい」  晃の耳朶に歯を立てながら、茅野が低く呻く。喘ぎまじりのその声は、普段の茅野のそれとは似ても似つかないほど甘く、淫靡に濡れていた。 「俺は――もう、なってる」  そして茅野は、動きの大きさはそのままに抽挿の速度をさらに上げる。心臓が爆ぜるかと思うほど激しく奥を突き上げられながら、それほどに激しく求められる自分を晃は強く意識した。  ずっと、誰かのために生きるのが夢だった。  子供の頃から、晃は多くの人々に支えられて生きてきた。が、無力な晃は、彼らに何一つ報いることができなかった。そんな自分が惨めで情けなくて、自分が生かされる意味を、いつも、心の中で問うていた。  あの悲しい日々は、全て、この時のためにあったのだと今ならわかる。 「瑛士さ――ぁ」  振り落とされないよう茅野の背中にしがみつき、ぎゅっと爪を立てる。週三回のジムで鍛えられた茅野の身体は、すでに三十代の半ばながらも逞しく引き締まっている。茅野曰く、若い恋人を誰かに盗られまいと彼なりに必死で努力しているらしい――が、晃に言わせれば、茅野ほど素敵な恋人はどこにも見つけようがない。  そんな茅野の逞しい背中に、晃はなおも爪を立ててしがみつく。皮膚が破れようと構わなかった。むしろ今は、この愛おしい人の身体に自分の痕跡を刻みたい。生きた証を残したい。 「え、じさ――」  刹那、晃の奥で熱が爆ぜて、誘発されるように晃もまた何度目かの精を吐き出す。張り詰めていたものがふっと緩んで、絶頂と弛緩との強烈な落差に危うく意識が飛びかけたその時、ずるりと芯を抜かれ、今度は俯せにされる。  ゴムを付け替える音が背後でして、まさかもう、と思った矢先に腰を抱えられ、ふたたび中を貫かれる。労るそぶりもないガツガツした挿入に、達したばかりの身体はしかし、苦痛ではなく新たな喜悦を拾ってしまう。 「悪い……まだ、足りない……」  長い腕に抱き寄せられ、逞しい胸板が背中にぴったりと寄り添う。いつの間にバスローブを剥ぎ取られたのだろう。わからないし、そんなことはもうどうでもいい。中を掻き回す雄にふたたび煽られると、若い晃の身体はそれの熱と形を辿ることしかできなくなる。 「うん、して……何度でも……欲しがって」 「ああ」  頬を掬われ、首を捻りつつ肩越しに茅野とくちびるを重ねる。注がれる唾液を喉を鳴らして嚥下しながら、この人になら、いっそ骨が枯れるまで奪われても良いと晃は思った。  それから二人は数える気にもなれないほど達して、文字通り、精根尽き果てるまで愛し合ったのだ。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!